早雲に仕えた北条家筆頭家老

遠山 直景とおやま なおかげ

概 要

元は室町幕府将軍・足利義稙の奉公衆・美濃遠山氏の一族。
北条早雲に仕えた時期は不明だが北条家の筆頭家老として江戸城代等を務めた。

ポイント

  • 室町幕府奉公衆・美濃遠山氏の一族。
  • 北条早雲に仕え北条家の筆頭家老となる
  • 江戸城代を務める

誕生・死没

  • 誕生:????
  • 死没:1533年
  • 享年:?
  • 死因:病死

名前

  • 通称:四郎左衛門
  • 戒名:延命寺殿節渓宗忠

官 位

  • 隼人佐、加賀守、丹波守

氏 族

  • 武蔵遠山氏

親 族

綱景康光、北条氏康の側室、
   妙喜尼(諏訪部定勝の正室)

略 歴

1506年 ?歳  史料に登場
1523年 ?歳  箱根権現社の棟礼に家臣として署名
1524年 ?歳  北条家が江戸城を攻略し、直景が城代を務める
1529年 ?歳  武蔵西部における軍事行動においては北条軍の総大将を務める
1533年 ?歳  死 去

生 涯

直景の出自は不明だが、室町幕府奉公衆・美濃遠山氏の一族出身で、将軍・足利義稙に仕えた後に北条早雲に仕え、相模国松田郷惣領分138貫文を本領とした。

北条氏綱が修造した箱根権現社の棟礼に家臣として唯一署名しており、この段階で筆頭家老の立場にあったとされる。

1524年に氏綱が扇谷上杉家の拠点であった武蔵国江戸城を攻略すると、直景が江戸城代として二の丸に備えた。また1529年からは北条軍の総大将として武蔵西部における軍事行動を行った。
その後、1533年に死去。家督及び江戸城代の地位は、嫡男の綱景が継いだ。

参考資料(引用元)