佐竹北家2代当主となるが「部垂城の戦い」で戦死する。

佐竹 義住さたけ よしずみ

佐竹北家の居城・久米城跡
提供元:でんでん太鼓 様

  ポイント

  • 佐竹北家2代目
  • 宇留野義元の家督争いでは義篤を支持する
  • 部垂城の戦いで戦死する

誕生・死没

  • 誕生:不 明
  • 死没:1565年
  • 享年:?

名 前

  • 不 明

所 属

官職・役職

  • 不明

親 族

略 歴

1533年…父・佐竹義信が死去したため家督を継ぐ
1534年…佐竹宗家の家督争いでは義篤を支持する
1539年…部垂城の戦いで戦死する

概 要

佐竹義信の嫡男。父の後を継いで佐竹北家2代当主となるが宇留野義元との部垂城の戦いで戦死する。その後、義住には継嗣が居なかったため、佐竹北家は、弟の義廉が養子となって跡を継いだ。

生 涯

天文2年(1533年)に父が死去したため、家督を継いで佐竹北家の当主となり、本家の佐竹義篤の補佐を務めた。天文3年(1534年)から激化した義篤と宇留野義元の家督争いでは義篤を支持して義元と戦ったが、天文8年(1539年)に部垂で戦死した。
継嗣が無かったため、弟の義廉が養子となって跡を継いだ。

参考資料(引用元)