角館に地盤を築き安東、小野寺家と
激しい戦いを繰り広げる
戸 沢
丸に輪貫九曜
年 表
1468年 | 北浦郡の統一に成功する |
1496年 | 大曲地方への進出をかけて、安東忠季と戦う |
1523年 | 戸沢秀盛の嫡男として道盛が誕生する |
1527年 | 再び安東氏と激突この合戦で戸沢氏家臣の結束は強まり、戦国大名化に成功する。 |
1529年 | 秀盛死去。5歳の戸沢道盛が継ぐ |
1540年 | 安東氏に本宗地滴石を落とされる |
1541年 | 小野寺氏が戸沢氏の北浦郡攻略を開始する |
1545年 | 淀川城を安東氏によって奪われる |
1547年 | 淀川、荒川城を奪取 |
1551年 | 戸沢道盛の嫡男として盛重が生まれる |
1566年 | 戸沢盛安が誕生する |
1578年 | 盛重が弟の盛安に家督を譲る |
1582年 | 大曲平野に進出し、小野寺氏と対立を深める |
1586年 | 上浦郡沼館城へ進軍し勝利し上浦郡へ進出する |
1589年 | 安東家の内紛湊合戦の際、湊通季を支持し、秋田実季と戦う。 |
1590年 | 小田原征伐に参陣し、所領を安堵される |
家 紋
一文字
出 自
戸沢氏の祖は平忠正(忠盛の弟)の子、平維盛とされている。本拠地を大和国三輪(現・奈良県桜井市)とし平衡盛の代に木曾義仲に属していた。木曽義仲が粟津の戦いで討たれると奥州磐手郡滴石庄(岩手県雫石町)に下向した。
その後、衡盛の時代に源頼朝に臣従し、屋島の戦いや奥州合戦での活躍が認められ、磐手郡滴石庄内に4千6百町歩の土地を与えられ大身の御家人となりる。その時に家を構えて居た所が滴石庄の戸沢邑という事から「戸沢氏」と称した。
その後南部氏の侵攻にあい拠点を門屋小館(秋田県仙北市西木町西明寺)に移したと伝えられている。
概 要
戦国時代初期の戸沢家は小野寺氏や安東氏と抗争を繰り返していた。序盤は北浦郡の統一など勢力を広げていったが徐々に小野寺氏や安東氏に追い込まれる降伏寸前の状況になっていった。が
家臣団の必死の抵抗により滅亡えを阻止、その後北奥随一の名将と謳われた戸沢盛安が誕生すると小野寺氏や安東氏を破って勢力を拡大し戸沢氏の全盛期を迎える。豊臣秀吉の小田原征伐には東北地方の戦国大名の中ではいち早く参陣して秀吉の賞賛を受け、所領を安堵された。
関ヶ原の戦いでは東軍に属し、最上氏と共に上杉氏と戦うが、消極的策が咎められて、常陸国松岡へ減転封される。
安東家と小野寺家との抗争争い
1468年、南部氏が小野寺氏との抗争に敗れ、仙北三郡から撤退する。戸沢氏は北浦郡の統一に成功し、仙北三郡の覇権を巡り小野寺氏さらには安東氏との抗争を開始する。
1496年大曲地方への進出をかけて、安東忠季と戦う。秀盛は弟の戸沢忠盛に二千の兵を与え、淀川城の守備に就かせる。両軍は唐松野で激突したが引分けに終わる。永正年間には小野寺氏と戦う。両者一歩も退かぬ長期戦となり、最後は盟友・楢岡氏の仲介で和睦。
1527年には、再び安東氏と激突。この合戦は安東氏の謀略により、家中分解の危機に陥ったが、何とか引き分けに持ち込む。この合戦で戸沢氏家臣の結束は強まり、戦国大名化に成功する。
忠盛の謀反
秀盛の後を道盛が継いだが、僅か5歳だったこともあり、叔父の忠盛が角館に入城し、後見人を努める。しかし忠盛が宗家奪取を企て、道盛とその母(楢岡氏出身)は城外に追放される。(兄である秀盛から後継者に指名されたが、秀盛の晩年に道盛が生まれたために約束が反故にされた)
しかし、このクーデターは家臣団の支持を得られず、楢岡氏を中心に六郷・本堂・白岩氏らが結束して忠盛に圧力をかけ、最後は道盛の角館復帰、忠盛の淀川城退去で決着する。
鬼九郎盛安の登場
1566年角館城で戸沢氏16代当主・戸沢道盛の子として後に「鬼九朗」と呼ばれる猛将が誕生する「戸沢盛安」である。
盛安が病弱な兄・戸沢盛重にかわって、13歳で家督を相続し、角館城主となると、小野寺氏や安東氏を破って勢力を拡大し、仙北三郡の完全平定に成功。戸沢氏の全盛期を出現させる。中央の動静にも絶えず注目し、豊臣秀吉の小田原征伐には東北地方の戦国大名の中ではいち早く参陣して秀吉の賞賛を受け、所領を安堵された。しかし盛安は参陣中に突然病死した。
関が原の戦い
光盛の死後、盛安の子戸沢政盛が家督を相続する。秀吉の死後、政盛は鳥居忠政の娘と縁戚を結び、徳川方へ急速に接近していく。 関ヶ原の戦いでは東軍に属し、最上氏と共に上杉氏と戦う。しかし上杉討伐で秋田氏の勢力が増大することを恐れ、消極策に終始する。戦後、この行動が咎められて、常陸国松岡へ減転封される。
その後の戸沢家
松岡藩への転封後、政盛は徳川氏への接近を積極的に進めていく。徳川氏重臣の鳥居忠政の子を婿養子に迎えた。
鳥居氏との縁戚により、本来江戸幕府内での扱いは外様大名であるはずの戸沢氏は譜代大名とされた(願譜代)。その後最上氏の改易を受けて、譜代大名鳥居氏の一族として、松岡よりは角館に近い新庄へ加増転封される。以後は新庄藩6万石(後7万石)の大名として明治維新まで続く。
主な本拠地
- 角館城【秋 田】