那須氏17代当主
長く分裂した那須家を統一した人物

那須 資房なす すけふさ

那須家の居城 烏山城

  ポイント

  • 那須家17代当主
  • 那須家を統一

誕生・死没

  • 誕生:不 明
  • 死没:1552年
  • 享年:不 明

名 前

  • 太郎(別名)

所 属

官職・役職

  • 官位: 大炊助・左衛門大夫・大膳大夫・修理大夫

親 族

  •    父  : 那須資実
  •    母  : 那須明資娘
  •  兄 弟 : 武茂氏か茂木氏
  •  兄 弟 : 佐竹氏義の正室
  •  兄 弟 : 稲澤播磨守の室
  •  兄 弟 : 木須頼実
  •  兄 弟 : 那須資衡
  •  兄 弟 : 那須資仲
  •    子  : 那須政資

略 歴

1435年…斯波一門の大野持種の嫡男として誕生
1463年…宇都宮義員らと岩城常隆と交戦し敗北するが、縄釣原の戦いでは勝利を収めた
1494年…資実が没すると下那須家の当主となる。
1509年…塩谷城主・塩谷孝綱の家臣である大貫増長・油井利宗・印西成展らの謀反を誘発させようとするが失敗する。
1514年…上那須家の内乱に乗じて那須家を統一する。
1520年…岩城・白河結城軍に攻められるが宇都宮忠綱から援軍を得て、縄釣原で岩城軍を破る。
1521年…岩城由隆が宇都宮忠綱や小田政治を誘い、資房の上川井城を攻め資房が烏山城に退く。
常陸国の佐竹氏の仲介で岩城常隆の娘を子・政資に娶わせ和睦を結んだ。その後家督を政資に譲る。
1552年…死去。子・政資や孫・高資よりも長生きしたと言われている

那須家の統一

1514年、那須氏15代(上那須家)当主・那須資親の死後、資親の実子・山田資久と養子・那須資永の間で家督争いが生じる。
資房は資久を支持するが、内紛の最中に資久が資永に殺害されて上那須氏が断絶、資房は大田原資清らと共に資永を攻め自刃に追い込み、子・政資を上那須家の当主に据え、那須氏を事実上統一して実権を握った。

大捻縄引の由来

選択無形民俗文化財にも指定されている栃木県大田原市の習俗のひとつである「大捻縄引(だいもじひき)」は永正(えいしょう)17年(1520)、奥州岩城(いわき)氏の軍勢と福原城主那須資房(すけふさ)が湯津上地区の南西を流れる箒川(ほうきがわ)沿いで合戦した折、箒川の崖で両軍が縄の引き合いをしたことが始まりともいわれます。

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