ポイント
- 那須家18代当主
- 古河公方・足利政氏より偏諱を受ける
- 結城・岩城と戦を繰り広げる
- 嫡男・高資と対立する
誕生・死没
- 誕生:不 明
- 死没:1546年
- 享年:不 明
官職・役職
- 官位: 壱岐守
略 歴
1514年… | 上那須家の家臣達に擁立され上那須家の当主になる | 1494年… | 資実が没すると下那須家の当主となる。 |
1520年… | 岩城・白河結城軍に攻められるが宇都宮忠綱から援軍を得て、縄釣原で岩城軍を破る。 この頃に居城・烏山城を嫡男・那須高資に取られたと推測される |
1521年… | 岩城・宇都宮・小田が上川井城を攻め資房が烏山城に退く。 常陸国の佐竹氏の仲介で岩城常隆の娘を正室に迎え和睦を結ぶ。 家督を継承する。 |
1539年… | 宇都宮尚綱や佐竹義篤、小田政治の援軍を受け、子・高資の拠る烏山城を攻撃しする |
1544年… | 高資との和睦が成立して隠居する |
1546年… | 死去する |
那須家の統一
1514年、上那須家が内紛により断絶すると、祖母が那須明資の娘だった縁もあり上那須家の当主として大関氏や大俵氏といった家臣達に擁立される。下那須家の父・資房の隠居後は統一された那須家の当主を務めた。
周辺諸国との争い
那須家を統一した政資だが、断絶した上那須家・那須資永の実兄・結城顕頼やそれを支援する岩城常隆、さらに資永の養父・那須資親の縁者で上那須家の継承権を主張する下野宇都宮氏など近隣の勢力と対立し、しばしば戦いを繰り広げた。
1520年には岩城由隆や白河結城氏に攻められるが、父・資房が宇都宮忠綱から援軍を得て政資を支援し、縄釣原で岩城軍を破っている。
しかし、1521年常陸国の佐竹氏の仲介で岩城常隆の娘を正室に迎えて和睦している。
嫡男・高資との確執
永正の乱(古河公方家の内紛(政氏・高基父子の争い))が勃発するとこれは那須氏にも影響を及ぼした。
高基の偏諱を受けた嫡男・高資を擁立した大関宗増らの勢力と対立し、烏山城を上杉氏と結んだ高資に奪われ家督を強奪されたが、上那須地方に拠って抵抗し、結果として那須家の再分裂を招いてしまった。
しかし、1539年に宇都宮尚綱や佐竹義篤、小田政治の援軍を受け、子・高資の拠る烏山城を攻撃している。