岩城家の全盛期を築きあげた岩城家11代当主
岩城常隆
ポイント
- 岩城家の全盛期を築いた大名
- 結城合戦で活躍
誕生・死没
- 誕生:不 明
- 死没:1510年?
- 享年:?
名 前
- 平三郎
官職・役職
- 従五位下・下総守
- 左京亮
親 族
- 父 : 岩城親隆
- 母 : 岩城隆平の娘
- 正室 : 白土隆衡の娘
- 兄弟 : 車隆景
- 子 : 盛隆
- 子 : 由隆
- 子 : 船尾隆相
- 子 : 菊田隆道
- 子 : 富岡隆時
- 子 : 田村義顕の正室
- 子 : 那須政質の正室
- 子 : その他50人ほど
略 歴
1440年… | 父・親隆と共に結城合戦で活躍し、室町幕府より賞される。 |
1463年… | 宇都宮家や那須家と戦いが勃発 |
1485年… | 佐竹家の内乱に介入し、佐竹領の車城、龍子山山城を攻め落とす |
1502年… | 佐竹義舜に協力し山入氏義を討伐する。 |
1514年… | 結城顕頼の求めに応じ那須家を攻めるが、戦果は挙げられず、那須家と和睦し縁戚関係を結ぶ |
家督相続
岩城親隆の嫡男として誕生。
1440年結城合戦では父・親隆と共に幕府側として参陣し、その時の活躍を室町幕府6代将軍・足利義教から賞されている。<><>
1463年、那須資房や宇都宮義員らと交戦し勝利するも、縄釣原の戦いでは資房に大敗を喫した。
家督を継いだ当初は隠居した父・親隆と共同統治したが。1485年、佐竹氏の家督争いに介入し砥上某の車城、大塚成貞の龍子山城を攻め落としている。
勢力拡大
佐竹義舜に助力し山入氏義討伐に協力し佐竹領の一部を受領し勢力を拡大した。
また、白河結城氏の内訌や古河公方家の内紛(永正の乱)に乗じ、これに介入し勢力を広げ、岩城氏の全盛期を築き上げた。
子・盛隆に家督を譲ったがまもなく当主は盛隆の弟・由隆に代わり、常隆は父・親隆と同様、隠居として由隆と岩城氏を共同統治した。1514年に那須氏(上那須氏)で内紛が勃発し、那須資永(結城顕頼の弟)が自刃に追い込まれ、那須政資(下那須氏当主那須資房の子)が上那須氏の当主になると、結城顕頼の求めに応じ那須氏を攻めたものの戦果は挙げられず、縁戚関係を結んで那須氏と和睦したとされる