津島湊を支配して、織田家の財政的基盤を築いた。

織田 信定おだ のぶさだ

勝幡城跡

信定の居城 勝幡城跡

  ポイント

  • 織田信長の祖父
  • 尾張守護代・織田達勝の家臣
  • 織田家の経済的基盤を構築

誕生・死没

  • 誕生:不明
  • 死没:1538年?
  • 享年:不明

名 前

  • 信貞
  • 月厳(法名)
  • 三郎(通称)
  • 織田霜台
  • 織田弾正忠
  • 弾正左衛門尉

所 属

官職・役職

  • 官位:弾正忠、弾正左衛門尉

親 族

概 要

斯波家臣。良信の子。織田達勝配下で、「清洲三奉行」の一人として活躍。勝幡城を築いて居城とし、近隣の津島湊を支配して、織田家の財政的基盤を築いた。

出 生

尾張守護代・織田大和守家の分家の生まれ。信定の生まれた織田弾正忠家は守護代の家臣として「清洲三奉行の1つ」として大和守家の執務を輔佐、実行する家柄であった。

勢力拡大

中島郡・海西郡に勢力を広げて津島の港を手中に収め、津島に居館を構えた。
この港から得た経済力が戦国大名としての織田氏の発展の基礎となったとされる。また、永正年間に勝幡城を築城し、大永年間に津島の館から拠点を移した。

家督継承

天文年間初めに嫡男・信秀に家督を譲って隠居した。この際、木ノ下城(犬山市にあり犬山城とも言う)に移り、勝幡城を信秀に与えたとされる。

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