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伊達の重臣として政宗の信頼が厚かった武将
浜田 景隆
ポイント
- 伊達家の重臣で一本柳館城主
- 伊達家の主要合戦に従軍し活躍
- 葛西・大崎一揆の際に被弾し戦死する
誕生・死没
- 誕生:1554年
- 死没:1591年
- 享年:38歳
所 属
官職・役職
- 官位:伊豆守
親 族
- 父 : 浜田宗景
- 正室 : 松田氏の娘
- 子 : 浜田景国
略 歴
1554年 | 1歳 | 宗景の嫡男として誕生。 | 1586年 | 33歳 | 人取橋の戦いに従軍 | 1589年 | 36歳 | 摺上原の戦いに従軍 |
概 要
伊達家の重臣で一本柳館城主。伊達家の主要な戦などで活躍し、伊達政宗からの信頼を得る。葛西大崎一揆の最中に被弾し討死した。
浜田家の出自
浜田氏は藤原姓で、藤原乙麻呂の末裔と伝えている。
所領は伊達郡及び置賜郡にあった。
伊達家での活躍
景隆は一本柳城主で5千石を有し、摺上原の戦い、人取橋の戦いなどや、中新田合戦や二本松合戦などで留守政景や泉田重光らと共にしばしば陣代を務め、政宗からの信頼を得た。
葛西・大崎一揆で討ち死に
葛西大崎一揆において、加美郡宮崎城攻めの最中に被弾し討ち死にした。享年38だった。
このとき、政宗は景隆の討死にを聞き怒り、城に向かって怒りをぶつけたが、鉄砲で狙われ、家臣に押し戻されたという。墓は現在の加美町に墓が建っている。