【戦中の食事方法は?戦場の食料事情を徹底解説】 

膳

 まえがき

戦国時代は基本的に食料難の時代だった。足軽など戦に出れば食料が支給されるため、貧しい村では人手を差出し人数を減らしていた。

自分の体に巻きつけていた携行食

足軽達は出陣してから3日間は自前で用意しなければならなかった。そのため保存の利く食料が重宝されたと思われる。
足軽の携行食とは自分の体に食料を巻きつける形で行軍、手弁当で戦に参加していた。 では実際に足軽達はどのような携行食を持っていったのか。

干し飯ほしいい
蒸し米を粘りけがなくなるまで洗い天日干ししたもの。保存期間は約20年とも言われており、そのままかじったり湯に戻したりして食していた。
兵糧袋と呼ばれる何連もの袋をたすき掛けしてある袋に入れていた。

干し飯

画像元:小泉武夫マガジン様



梅干し
食料として食べるだけでなく、消毒約としても使っていた。

干し味噌
乾燥させた味噌を丸めた保存食。板状にしたものもあった。

芋がら縄
里芋の茎の部分を味噌で煮て乾燥させ、縄上に編んだもの。
ちぎってお湯に浸せば具入りのインスタント味噌汁になった。

芋がら縄

画像元:和楽様

大名から振舞われた配給食

進軍中の足軽は4日目以降、1日五合の米の支給を受けていたが、合戦時には倍の一枡になった。また米はまとめて支給すると兵士達が勝手に酒を作ってしまう危険もあったので数日ごとに小分けで支給されていた。もちろん味付けとして味噌や塩等のほかに様々な食料が配布された。

握り飯
赤米っや黒米だけでなく、真っ白な銀シャリが提供されたこともあった。ただし、具材はなかった。

珍 味
その時の山や海で取れたものを食料として支給。獣肉や魚、山菜など多種多用であった。

味 噌
焼き味噌や炙り味噌の他、地域によっては八丁味噌を支給していた。


人間の生命維持に欠かせない塩。米のおかずとして1日あたり0.1合(15g)支給された。

初めて配給食を始めた人物
戦国時代に始めて配給食制度を始めたのは織田信長だといわれている。戦国時代は飢饉が続いていたため、配給食欲しさに戦に参加したものも少なくなかった。

進軍中の非常食

米や味噌、塩ばかりたべていては飽きてしまう。また、行軍で一日中歩けば腹も減ってしまう。合戦に参加していた足軽達は米以外にもいろいろな食料を口にしていた。

鶏 卵
保存期間が長く、栄養価の高い鶏卵は行軍の際に好まれた。

兵糧丸
米やそば粉、きな粉など、数種類の穀物粉を混ぜて作った保存食。

兵糧丸

画像元:クックパッド様

木の実
手に入れやすい木の実は戦国時代の貴重なタンパク源であった。

行 商
商人による物販での食料調達。大名が抱える商人もいた。

苅田狼藉
敵地の田畑を強引に刈り取って自軍の兵量にすること。