人口は?石高は?
山形県の主な城下町を徹底解説

山形県の城下町

 鶴 岡

旧国名出羽(羽前)
所在地鶴岡市
石高17万石
人口3万2千人
標高18m

赤川の支流内川西岸に位置する城下町

 米 沢

旧国名出羽(羽前)
所在地米沢市
石高30万石
人口27,000人
標高250m

鎌倉時代は長井氏の領地、室町時代初期から伊達氏の領地となった。戦国時代(天文の乱の後)に伊達氏の本拠地としての城下町として栄え原型が作られた。
関ケ原の戦いの後に、上杉景勝が会津若松120万石から30万石に減封され、家臣の直江兼続の居城に転封となった。
以後は明治の廃藩置県まで米沢藩上杉氏の城下町となった。

 山 形

旧国名出羽(羽前)
所在地山形市
石高57万石
人口21,900人
標高140m

最上義光が最上・村山地方を統一した際に拠点として現在の基礎となる山形城と城下町の町割を整備し近世城下町となった。
江戸時代初期に最上氏が転封された後は、鳥居忠政が山形藩主となって、馬見ヶ崎川の改修などが行われた。以後、幕末まで、保科氏、松平氏など複数の領主の入れ替わりが続き、天保の改革に失敗した水野忠邦の子忠精が山形に転封され、版籍奉還まで水野氏5万石が続くことになった。山形市西部の須川沿いの船町は、最上川水運において、中流域で有数の港であった。

 上 山

旧国名出羽(羽前)
所在地上山市
石高4万石
人口4200人
標高198m

山形盆地南部に位置する町。鎌倉幕府の時代に五十嵐小文治が地頭として派遣され、本市地域を統治した。
室町時代になると、斯波兼頼のひ孫となる斯波満長が上山地域に分封され高楯城を築城・発展が進み、戦国末期には最上氏の支城があった。
江戸時代初期に上山藩初代藩主の松平重忠が前川の川筋を変えて城下町としての整備を開始し山形と米沢の間にあったことから羽州街道の宿場町として栄え、現在は上山温泉で知られる。城下町・宿場町・温泉街の3つを同時に兼ね備えた都市。

 天 童

旧国名出羽(羽前)
所在地天童市
石高2万石
人口3600人
標高104m

織田信長の次男・織田信雄の子孫・織田信美が高畠から転封し天童藩を立藩し栄えた城下町

 新 庄

旧国名出羽
所在地新庄市
石高6.8万石
人口7200人
標高100m

山形県の北東にある城下町。最上地域の中心都市であり、戦国末期に日野佐京亮が館を築いたのに始まった。
最上氏が改易されると戸沢氏が常州松岡(現在の茨城県高萩市)から転封し「新庄藩」を立藩、羽州街道沿として城下町が発展し経営が安定した。