宇都宮
| 旧国名 | 下野 |
| 所在地 | 宇都宮市 |
| 石高 | 15.5万石 |
| 人口 | 18,500人 |
| 標高 | 116m |
下野の豪族・宇都宮氏の本拠地として発展した。日光街道・奥州街道の分岐点として交通の要所でもあった。
烏 山
| 旧国名 | 下野 |
| 所在地 | 那須鳥山市 |
| 石高 | 5万石 |
| 人口 | 2500人 |
| 標高 | 200m |
下那須家の当主・那須資重が鳥山城を築きその城下町として栄え八溝山地から喜連川丘陵を南流する那珂川の右岸段丘上に城下がある。
小田原征伐後に那須家が改易されると、織田信長の次男・織田信雄、1590年、成田氏長が、武蔵国忍から2万石で入封し烏山藩が立藩、以後領主は次々と替わることになる。
壬 生
| 旧国名 | 下野 |
| 所在地 | 壬生町 |
| 石高 | 4万石 |
| 人口 | 4300人 |
| 標高 | 62m |
室町時代に築かれた壬生城の城下町で、西の思川と東の姿川に挟まれ関東ローム層で覆われた鹿沼台地上に位置し江戸時代には日光街道の宿場町となるとともに黒川の河川交通によっても栄えてきた
佐 野
| 旧国名 | 下野 |
| 所在地 | 佐野市 |
| 石高 | 2万石 |
| 人口 | 7,400人 |
| 標高 | 56m |
北部にある唐沢山城を拠点としていた佐野家当主・佐野信吉によって建設された佐野城の城下町として発展した。
碁盤目の町割りで形成され、突き当りに寺院が配置された。佐野市の中心部、金屋町には鋳物氏が集められ、天明鋳物として全国的に知られている。
黒 羽
| 旧国名 | 下野 |
| 所在地 | 大田原市 |
| 石高 | 2万石 |
| 人口 | 1900人 |
| 標高 | 214m |
下野国北部を支配していた那須氏の傘下で大田原氏と並ぶ重鎮・大関高増が築城した黒羽城の城下町として発展。城下は那珂川右岸と松葉川に挟まされた狭い平地に形成された。
黒羽藩は幕末まで大関氏が務め、外様で小藩ながら幕末には15代大関増裕が海軍奉行や若年寄など幕府要職を歴任し、藩政では作新館を開校してスペンサー銃の標準装備など兵装の洋式化を行い軍改革を進めた。
大田原
| 旧国名 | 下野 |
| 所在地 | 大田原市 |
| 石高 | 1万石 |
| 人口 | 3400人 |
| 標高 | 225m |
那須扇状地の扇端武に位置する城下町。1545年ごろに大名・那須氏に属する豪族衆・大田原資清が築いた。
江戸時代には奥州街道の宿場町として栄え本町と住吉町には湧き水を利用した醤油蔵・酒造が材立した。
那 須
| 旧国名 | 下野 |
| 所在地 | 大田原市 |
| 石高 | 1万石 |
| 人口 | 不明 |
| 標高 | 154m |
県北東端、那須岳の南東麓に位置し奥州街道の宿場町として栄えた。
戦国時代は大名・那須氏の拠点であったが、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかった当主の那須資晴は改易となった。
関ケ原合戦の後に1万4000石を領することとなり、大名に列し那須藩を立藩した。
吹 上
| 旧国名 | 下野 |
| 所在地 | 栃木市 |
| 石高 | 1万石 |
| 人口 | 2900人 |
| 標高 | 82m |
栃木県南部に位置する城下町で皆川氏領として発展。江戸時代になると幕府領などを経て有馬氏が入封して代官陣屋を改修して藩庁となった。
喜連川
| 旧国名 | 下野 |
| 所在地 | さくら市 |
| 石高 | 0.5万石 |
| 人口 | 2900人 |
| 標高 | 158m |
県中央武にあり奥州街道の宿場町を兼ねており喜連川丘陵の小高い山上に城があった。
1593年に小弓公方の末裔・・足利頼氏が古河公方を継ぎ城下町を整備し発展した。現在、城があった丘陵一帯は「お丸山公園」として整備されている。