人口は?石高は?
千葉県の主な城下町を徹底解説

千葉県の城下町

 佐 倉

旧国名下総
所在地佐倉市
石高10万石
人口3,400人
標高34m

千葉県北部中央に位置する城下町。
鎌倉時代・室町時代を通じて下総守護となった下総千葉氏が、戦国時代に本佐倉城を拠点としその城下町を形成。江戸時代初期には土井利勝が本佐倉城を改造して佐倉城を築き、その後、堀田氏の居城となり、佐倉は城下町として繁栄した。
佐倉街道の宿場町として栄え房総最大の城下町であった。

 大多喜

旧国名上総
所在地大多喜町
石高10万石
人口1600人
標高730m

千葉県の南部に位置した城下町。
大多喜地域は戦国時代から城下町として繁栄した。応仁の乱以後守護大名が台頭し、長南の武田氏、万木の土岐氏、小浜の槍田氏、安房の里見氏がこの地方で衝突していた。
徳川家康が関東に入封すると本多忠勝が10万石を与えられ約11年間領知した。忠勝は里見氏に備えて城を整え、城下町の整備、六斎市の開市を企てた

 関宿

旧国名下総
所在地野田市
石高6万石
人口1000人
標高20m

利根川と江戸川を結ぶ逆側に面し、室町時代時の1457年に関宿城の城下町になってから江戸時代まで商業・水運業・城下町・宿場町として多様な街として発展した。
江戸時代には関宿藩の河川水運の要所として関所が置かれ宿場町として栄えた。

 久留里

旧国名上総
所在地君津市
石高3万石
人口1,200人
標高140m

上総の戦国大名・上総武田氏の武田信長によって久留里城が築かれ、その後、武田氏を倒した里見氏が全盛期の拠点として発展。
徳川家康が関東に入封すると里見氏に対する徳川氏の最前線として大須賀忠政、次いで土屋忠直が入封し城下町が整備された。
江戸時代には久留里藩の城下町として栄えた。

 館 山

旧国名安房
所在地館山市
石高12万石
人口2700人
標高66m

安房・里見氏が、水軍の拠点として利用していた館山湾を望む独立丘に館山城を築き、本拠を館山城に移すと(館山藩参照)、城山の周囲に家臣の居住地を造るとともに、その北側に商人・職人を集めて海に面した城下町を形成した。

 佐 貫

旧国名上総
所在地富津市
石高4.5万石
人口1000人
標高54m

真里谷武田氏が築城した佐貫城の城下町として発展。
江戸時代になりと松平氏や阿部氏、柳沢氏らが入封している。