人口は?石高は?
岩手県の主な城下町を徹底解説

岩手県の城下町

 盛 岡

旧国名陸奥(陸中)
所在地盛岡市
石高20万石
人口2万9千人
標高143m

南部藩の城下町として栄えみちのく北部の中心として繁栄した。
「盛岡」の由来は盛岡藩4代藩主・南部重信と、永福寺の高僧・清珊法印権僧正が詠んだ連歌に、「幾春も華の恵みの露やこれ 宝の珠の山」という説もある。

 一 関

旧国名陸奥
所在地一関市
石高3万石
人口4千人
標高75m

葛西氏の領地であった一関は葛西氏のライバル大崎氏の国境に隣接しており、葛西氏と大崎氏の係争の地であった。
葛西氏が奥州仕置きで滅亡されると伊達領となりその後、一関藩が立藩した。

 遠 野

旧国名陸奥(陸中)
所在地遠野市
石高1.2万石
人口500人
標高344m

盛岡藩を成立させた南部利直が遠野を領有していた阿曽沼氏や鱒沢氏を追放し、根城南部氏(遠野南部氏)の八戸直義を転封して仙台藩領と隣接する遠野の統治にあたらせ遠野街道、釜石街道、大槌街道が交わる宿場町として栄えた。

 花 巻

旧国名陸奥(陸中)
所在地花巻市
石高2万石
人口1700人
標高85m

安土桃山時代末期まで伊達家の庶流で大崎氏の傘下であった稗貫氏の本拠地であったが、奥州仕置後に南部氏の家臣である北秀愛がそれまでの「鳥谷ヶ崎」という名を「花巻」と改め、盛岡藩南境防御の要塞として花巻城の城の改修や城下町の整備に着手し、稗貫・和賀2郡の行政の中心地となったことで都市として成立した。

 水 沢

旧国名陸奥(陸中)
所在地奥州市
石高1.6万石
人口2600人
標高49m

平安時代は奥州藤原氏によって栄え、鎌倉幕府が成立すると葛西氏が奥州総奉行となり、水沢には重臣であったとされる佐々木氏や柏山氏が治めた。
その後、江戸時代になると留守家(水沢伊達家)が入り、町はさらに発展し水沢は奥州街道が南北を貫き、手倉街道と盛街道が交差する交通の要所であったことから宿場町として栄え「みちのくの小京都」と称された。