人口は?石高は?
群馬県の主な城下町を徹底解説


 前橋

旧国名上野
所在地前橋市
石高17.5万石
人口16,900人
標高108m

群馬県の中南部、利根川左岸の段丘上に建設された城下町。室町時代に千葉常胤が蒼海城(元総社町)を築き戦国時代には厩橋という地名で上杉・武田・北条の戦いの中心であった。
現在の原型は1601年に譜代大名・酒井重忠が厩橋城を近世城郭として整備したことに始まる。

 高 崎

旧国名上野
所在地高崎市
石高12万石
人口16,173人
標高97m

群馬県南部位置し、古くから交通の要衝で、中山道と三国街道の分岐点あることから宿場町として発展。城下自体は烏川と碓氷川の合流地点の左岸の段丘上に建設された。
1598年に徳川四天王・井伊直政が大規模な町割りを実施し、中山道の69次中4番目に規模が大きい宿場町(高崎宿)、また物資の集散地・商業のまちとして大いににぎわった。

 館 林

旧国名上野
所在地館林市
石高25万石
人口10000人
標高20m

群馬県南東部に位置し、渡良瀬川と利根川に挟まれた台地上に建設された城下町。
赤井氏、長尾氏、由良氏などが館林を本拠地とし、1590年に徳川四天王である榊原康政が関東以北への押さえとして館林城に入り城下町を整備した。

 沼 田

旧国名上野
所在地沼田市
石高3.5万石
人口3,500人
標高410m

群馬県北部の城下町。城下町全体が利根川およびその支流域の大規模な河岸段丘上に位置する。
戦国時代には沼田城の城下町であった。上杉謙信と武田信玄、北条氏は沼田の領有をめぐって激しく対立。上杉軍の北条氏攻撃の拠点ともなった。戦国末期には真田昌幸・信幸の領有となり沼田藩を立藩近世城下町として整備された。

 安 中

旧国名上野
所在地安中市
石高4万石
人口3900人
標高166m

群馬県南西部、碓氷川と九十九川に挟まれた段丘上に建設された城下町。
東山道、近世には中山道の宿場(板鼻宿・安中宿・松井田宿・坂本宿)や関所が置かれた交通の要衝として発展した。
江戸時代になると安中藩の城下町として本格的な整備が始まり現在の形となった。

 小幡

旧国名上野
所在地甘樂町
石高2万石
人口1300人
標高190m

国峰城を拠点とした小幡氏の城下町。雄川右岸の段丘上に位置し徳川家康の関東入国後、小幡領3万石を治めたのは、徳川家康の娘婿・奥平信昌であった。これをもって「小幡藩」の立藩した。