人口は?石高は?
青森県の主な城下町を徹底解説

青森県の城下町

 黒 石

旧国名陸奥
所在地黒石市
石高1万石
人口6000人
標高52m

東部には八甲田山に続く山地で、市域の西部は津軽平野にある。平野部と山地の間の比較的標高の低い丘陵地帯。
江戸時代は弘前藩の支藩として黒石陣屋が後期に置かれ繁栄した。

 弘 前

旧国名陸奥
所在地弘前市
石高10万石
人口3万2千人
標高46m

弘前藩主津軽氏12代の城下町として発展し、津軽地方の中心都市として繁栄した。
弘前城の基となった高岡城は津軽為信が築城計画をたて1611年に五層の天守が完成した。
また、日本で最初に市制を施行した都市の一つである。

 七 戸

旧国名陸奥
所在地青森県上北郡
石高1.1万石
人口2千人
標高42m

1335年に南部政長?が七戸城を築城し、以後、七戸南部氏の城下町として発展した。
1591年の九戸の乱の敗北により、七戸南部氏は三戸南部家の統括になった。その後、一国一城の命によって根城は廃城となるが、七戸は奥州街道の要衝で軍事的拠点として発展していった。

 八 戸

旧国名陸奥
石高2万石
人口1万人
標高410m

南部地方の中心都市であり、1191年、甲斐国の南部氏が北東北一帯を源頼朝から賜り、南部師行が馬淵川の左岸の台地上に根城を築き、以後根城南部氏の拠点として発展した。
しかし、1627年に宗家である三戸南部氏(後の盛岡南部氏)の命により根城南部氏は遠野に居城を移した。
その後、盛岡藩が設立するが御家存続の危機を迎え、江戸幕府より八戸2万石と盛岡8万石に分け、八戸南部氏の祖となる南部直房により八戸城が築かれ八戸藩が誕生した。