畠山義就と戦った筒井家当主
筒井 順永
ポイント
- 筒井順覚の末子で筒井家当主
- 畠山義就と生涯戦う
概 要
大和の豪族・筒井家の当主・筒井順覚の末子。相国寺僧侶だったが長兄が次兄との争いのなかで行方をくらますと、還俗し筒井家の当主となった。河内国守護・畠山氏のお家騒動では畠山政久を支援し畠山義就と争った。
基本情報
| 誕 生 | 1419年 |
| 没 年 | 1476年(病死) |
| 別 名 | 舜良坊 |
| 氏 族 | 筒井氏 |
| 家族構成 | |
| 父 | 筒井順覚 |
| 母 | 不 明 |
| 兄 弟 | 順弘、成身院光宣、尊覚、実憲、順永 |
| 子 | 順尊、成身院順盛、安楽坊順憲、箸尾為国の正室、遊佐長直の正室 |
略 歴
| 1419年 | 1歳 | 筒井順覚の末子として誕生 |
| 1441年 | 23歳 | 長兄・順弘と次兄・成身院光宣が争う 還俗し家督を継承 次兄・光宣と協力し順弘と戦う |
| 1443年 | 25歳 | 長兄・順弘が殺害される 経覚と争う |
| 1454年 | 36歳 | 経覚と和睦 |
| 1455年 | 27歳 | 畠山義就に攻められ領地を没収 |
| 1459年 | 41歳 | 足利義政によって大和に帰国 |
| 1467年 | 49歳 | 応仁の乱が勃発 義就方の越智家栄・古市胤栄らと戦ったが |
| 1476年 | 58歳 | 死去 |
生 涯
1419年、大和の国人である筒井家当主・筒井順覚の末子として誕生した。はじめ順永には兄が2人(順弘、成身院光宣)がいたため、相国寺僧侶として出家していたが、1441年に長兄・順弘と次兄・成身院光宣が摂津河上五ヶ関代官職を巡って争い、順弘が敗れて行方をくらますと、順永は還俗、筒井氏当主となった。
家督を継いだ、順永は光宣と行動を共にし長兄・順弘と対峙するようになる。
1443年、順弘が越智家栄の力を借りて筒井城に復帰するも殺害され、代わって大乗院門跡経覚が五ヶ関を直接支配下に置こうと古市胤仙、豊田頼英、小泉重弘らが光宣・順永兄弟を打ち破り、筒井城に追い込んだが光宣兄弟も反撃、経覚派の鬼薗山城を落として五ヶ関代官職を獲得、1454年に両派は和解した。
隣国である河内国で守護・畠山氏のお家騒動(畠山政久VS畠山義就)が勃発。順永は政久を支持した。しかし戦いは義就が勝ち、義就は順永の大和に侵攻、これに敗れた順永は領地を没収された大和より追放され順永と光宣らは浪人となり細川氏に養われた。
1459年、管領・細川勝元の必死の取り成しにより、将軍・足利義政によって赦免され、大和国に戻った。大和に戻った順永は義就派の小泉今力丸と小泉重栄を討ち取り、領土を取り戻した。翌年、義就が将軍・義政によって家督を弥三郎の弟・政長に替えられると順永は政長に従い、義就追討軍に参加(嶽山城の戦い)、応仁の乱で引き続き大和で義就方の越智家栄・古市胤栄らと戦ったが1476年に死去した