第二次国府台合戦で戦死した遠山綱景色の次男

遠山 隼人佐とおやま はやとのすけ

概 要

北条家家臣。遠山綱景の次男。兄・藤九郎が早死したため遠山家の嫡子に昇格したが、第二次国府台合戦で父と共に戦死した。

  ポイント

  • 遠山綱景の次男
  • 北条綱成の娘と結婚する
  • 第二次国府台合戦で死去

誕生・死没

  • 誕生:????年
  • 死没:1564年
  • 享年:??歳

名 前

  • 通称:弥六郎
  • 法名:瑞鳳院殿月渓正円大居士[

誕生・死没

  • 誕生:????年
  • 死没:1564年
  • 享年:??歳
  • 死因:戦死

主 君

氏族

  • 武蔵遠山氏

親 族

遠山綱景
正室 北条綱成の娘
兄弟 藤九郎隼人佐、弥九朗、政景
   忠孝、景宗、大道寺政繁の正室、法性院(北条氏康・太田資顕の正室)
   島津主水正の室、伊丹政富の室
光吉、尾張局(遠山政景の正室)

生 涯

北条家の重臣・遠山綱景の次男として誕生する。
綱景は北条家の宿老として江戸城代を務め、扇谷上杉家の家臣で岩付城主・太田資顕の調略に成功させ太田家を北条家に寝返らせるなどの功績をあげた。
隼人佐は次男であったが、長兄・遠山藤九郎が21歳の若さで死去したため、遠山家の嫡子となった。また父・綱景が北条家の北条綱成と仲が良かったため、隼人佐は綱成の娘・浄光院と結婚した。
1564年、遠山家と婚籍関係であった太田氏が北条家から離反し上杉方に寝返ると里見家が北条領に侵攻し、第二次国府台合戦が勃発すると、太田家の離反に責任を感じ先鋒を務めた父・綱景と共に討ち死にした。

参考資料(引用元)