若狭守護を任命され若狭に移り住んだ初代若狭武田家当主
武田 信栄
ポイント
- 若狭武田家初代当主
- 義教に気に入られて相伴衆若狭守護となる
概 要
安芸武田氏4代当主武田信繁の嫡男。将軍・足利義教に気に入られ丹後国・若狭守護一色義貫誅殺した功績により若狭守護を与えらえれ若狭に移り住み若狭武田家の初代となった。
基本情報
| 誕 生 | 1413年 |
| 没 年 | 1440年(病死) |
| 墓 所 | 福井県大飯郡高浜町長福寺 |
| 通 称 | 彦九郎 |
| 戒 名 | 長福寺殿天遊光芸大居士 |
| 役 職 | 室町幕府 相伴衆、若狭守護 |
| 官 位 | 正五位下・伊豆守、治部少輔 |
| 氏 族 | 若狭武田氏 |
| 家族構成 | |
| 父 | 武田信繁 |
| 母 | 不 明 |
| 正室 | 不 明 |
| 兄弟 | 信栄、信賢、国信、元綱など |
同じ年の武将
- 足利義尊、斯波持有、斯波持種、島津季久、島津久林、武田信栄、富樫持春、 長尾景信、細川持益
略 歴
| 1413年 | 1歳 | 武田信繁の嫡男として誕生 |
| 1432年 | 19歳 | 将軍・足利義教の命で九州に出兵 |
| 1440年 | 27歳 | 若狭守護一色義貫誅殺する 義教より若狭と尾張国知多郡を与えられる 死去 |
生 涯
1413年、。安芸武田氏4代当主・武田信繁の嫡男として誕生。
1432年に父が6代将軍・足利義教の命で九州に出陣するとこれに同行して少弐満貞・大友持直と交戦、やがて義教に気に入られて相伴衆となった。
義教は有力守護大名の取り潰しを行い、信栄に丹後国・若狭守護一色義貫誅殺の密命を下した。1440年、大和永享の乱に出陣中の信栄は、ともに出陣していた義貫とその子供たちをおびき出して暗殺、その功績により義教より若狭と尾張国知多郡を与えられた。これが若狭武田氏の起源である。
若狭には三方郡や遠敷郡(上中)に旧守護一色氏の守護代三方氏の勢力が残っていたため、信栄は隣接の遠敷郡の小浜(下中)ではなく、大飯郡の高浜に館を構えた。また、京都建仁寺に同族の九峰以成を招いて塔頭十如院を建立、以後若狭武田氏から住職を輩出した。
しかし、若狭守護となった年に急死。信栄には子が無かったため弟の信賢が若狭を相続、同年に父から安芸分郡守護職も譲られた。