足利義稙を支援した六角家14代当主
六角 氏綱
六角氏綱『義烈百人一首』より
ポイント
- 六角高頼の子で六角家13代当主
- 将軍・足利義稙を支援
- 27歳の若さで死去
概 要
南近江の戦国大名・六角家13代当主。六角高頼の子。父の隠居後家督を継ぎ将軍・足利義稙を支援する。また、応仁の乱で荒れた領内の復興や勢力拡大を図ったが27歳の若さで死去。
略 歴
| 1492年 |
1歳 |
六角高頼の嫡男として誕生 |
| 1505年 |
14歳 |
京極騒乱で京極材宗を支援 |
| 1506年 |
15歳 |
政堯が幕府に追放され高頼が近江守護となる |
| 1507年 |
16歳 |
永正の錯乱で細川政元が暗殺 |
| 1511年 |
20歳 |
足利義稙を支援 |
| 1418年 |
27歳 |
死去 |
生 涯
1492年、六角家12代当主・六角高頼の嫡男として誕生した。
1506年、父の隠居により家督を継ぐ、翌年に永正の錯乱によって細川政元が暗殺されると、足利義稙が大内義興に擁立され将軍に再任された。氏綱も義稙に忠誠を誓い、以後六角氏は一貫して義稙系の足利将軍に忠誠を誓った。
領内では応仁の乱以降の戦乱で主戦場となった近江の復興に努めた一方、近江に所領を持つ奉公衆を家臣化するなど、自家の勢力の拡大も図った。
しかし、1518年、細川氏との戦いで受けた戦傷が原因で父に先立って27歳で死去。六角氏の家督は氏綱の弟・定頼が還俗して継いだ。