小笠原(赤沢)おがさわら(あかざわ) さだつね

概 要

小笠原家の庶流である・赤沢経智の三男。宗家の小笠原長時に仕えるが信玄によって宗家が追放されると陸奥の相馬家に仕え各地の戦いで活躍。その後、小笠原流弓馬術礼法の道統を託され、徳川秀忠に仕える。

  ポイント

  • 小笠原家の庶流・赤沢経智の三男
  • 小笠原家→相馬家→徳川家に仕える
  • 小笠原流弓馬術礼法の道統を託される

誕生・死没

  • 誕生:1543年
  • 死没:1614年
  • 享年:72歳

名 前

  • 幼名:仁徳丸
  •   
  • 初名:経直
  • 通称:源次郎、左兵衛、民部
  • 号:治部入道丹斎玄通

親 族

赤沢経智
島館入道喜仙の娘
黒木修理進の娘
兄弟 赤沢長勝、男子(僧籍)、貞経
経治、赤沢忠経、赤沢豊経、赤沢守経
養子 長経(赤沢経隆の子)

略 歴

1443年 1歳  誕 生
1550年 8歳   小笠原家が信濃から追放
陸奥の相馬家のもとへ落ち延びる
1572年 30歳  小笠原流弓馬術礼法の道統を託され
1575年 33歳  小笠原流弓馬術礼法師範の許状を受けた
1604年 62歳  徳川家康に謁見し徳川秀忠に仕える
1614年 74歳  死去

参考資料(引用元)