豊臣一門を輩出した秀吉の姉

日秀尼

概 要

豊臣秀吉の同父姉で秀長と朝日姫は異父。瑞龍寺中興三大比丘尼の1人。三好吉房と結婚し、 豊臣一門衆となる秀次秀勝秀保を生んだ

  ポイント

  • 豊臣秀吉の姉
  • 豊臣一門衆を輩出する
  • 瑞龍寺中興三大比丘尼の1人

誕生・死没

  • 誕生:1534年
  • 死没:1625年
  • 享年:92歳

墓所

  • 瑞龍寺(滋賀県近江八幡市宮内町)
  • 本圀寺(京都府京都市山科区)
  • 善正寺(京都府京都市左京区)

名 前

  • 智、智子(名)
  • 村雲尼、村雲日秀
  • 日秀(号)

氏族

親 族

木下弥右衛門
大政所
三好吉房
兄弟 日秀尼豊臣秀吉
豊臣秀長朝日姫

略 歴

1534年 1歳   誕生(異説あり)
1568年 35歳   豊臣秀次を生む
1569年 36歳   豊臣秀勝を生む
1579年 46歳   豊臣秀保を生む
1591年 58歳   豊臣秀次が関白となる
1593年 60歳   豊臣秀頼誕生
1595年 62歳   秀保死去
秀次が秀吉の命によって切腹
1596年 63歳   出家する
1598年 65歳   豊臣秀吉が死去
1612年 79歳   夫・三好吉房が死去
1625年 92歳   死去

出 生

1534年に大政所木下弥右衛門の長女として誕生。弟には豊臣秀吉豊臣秀長がいる。※異説として1532年誕生説あり。

尾張の雑兵・弥助の妻となる

日秀尼は、尾張国の下級武士であった海東郡乙之村の住人・弥助(後の三好吉房)に嫁ぎ、後に秀吉の養子となり関白となる豊臣秀次や同じく秀吉の養子となる秀勝秀保を産んだ。
日秀尼夫婦は主に長男の秀次と暮らし、秀吉が立身出世していくとその一門として弥助も出生していった。

1582年頃には長男・秀次が阿波国の三好康長の養子となって三好姓を名乗って跡を継ぐと、日秀尼夫婦も同じく三好姓を名乗り、三男の秀保は、秀長の養子に入った。

豊臣政権

秀吉が天下を統一すると、日秀尼は秀次の尾張転封後はこれに従って犬山城に住み、1591年に秀次が関白職を秀吉から譲られると、日秀尼一家は聚楽第に住んだ。
その年、秀吉は嫡子・鶴松を亡くしたため、秀次・秀勝を養子に入れた。

相次ぐ息子の死

1592年、秀勝が文禄の役に出兵仲に、巨済島の陣中で病死した。さらに1593年、秀吉に嫡男・豊臣秀頼が誕生すると、その翌年に秀保が十津川で不可解な急な病死で死去、そして秀吉の公式な後継者であった秀次も、秀吉から切腹を命じられ高野山で自害した。
この事件によって、夫の吉房も連座して讃岐国に流され、日秀尼は難を逃れたものの秀吉に孫(秀次の遺児)のほとんど全員を打ち首にされる不幸が続き、日秀尼は嵯峨野の地に善正寺を建立して秀次一族の菩提を弔った。

晩 年

1596年、相次ぐ息子の死が影響したのか日秀尼は仏門に入って出家、「日秀」に改め、京都の村雲の地に瑞龍寺を建立し、後に皇女や公家の娘が門跡となる比丘尼御所(俗にいう尼門跡)として、「村雲御所」と呼ばれる格式高い寺院となった。しかし、この寺院は後に大火で焼けて、現在の瑞龍寺へ移転した。

1598年に秀吉、1612年に夫・三好吉房が死去すると1615年には大坂夏のの陣で豊臣秀頼ら親族の大半を失い豊臣家が滅亡し、豊臣方についた山口兵内の妻となった最後の孫娘・お菊も徳川方に処刑された。
さまざまな悲劇を経験した日秀尼は1625年、92歳で死去した。

人 物

秀吉の兄弟姉妹では唯一、現代に至るまで子孫を残しており、その中には明仁上皇をはじめとする現在の皇族(男性皇族および内親王・女王全員)も含まれている

参考資料(引用元)

大政所が出演した作品

  • 新書太閤記(1973年 演:冨士眞奈美)
  • おんな太閤記(1981年 演:長山藍子)
  • 秀吉(1996年 演:深浦加奈子)
  • 寧々〜おんな太閤記(2009年 演:横山めぐみ)
  • 江〜姫たちの戦国〜(2011年 演:阿知波悟美)
  • 豊臣兄弟!(2026年 演:宮澤エマ)