ポイント
- 浪岡顕具の嫡男で浪岡北畠家・7代当主
- 内政手腕に優れ浪岡家の基礎を築く
- 複数の官位の任官を受けた。
官職・役職
- 官位: 従五位下、侍従、従五位上、弾正台弾正大弼、正五位下、従四位下、左近衛中将
概 要
浪岡城を本拠とした。鎮守大将軍北畠顕家の末裔であるといい、将軍を御所と敬称する当時の慣習から、陸奥国一帯で「浪岡御所」と呼ばれた。内政手腕に優れ、朝廷と交渉するために上洛し、任官を受けたという。
具永が任官された官位
1536年 6月14日:叙爵。侍従(源朝家)
1540年 6月24日:従五位上に昇り弾正大弼(以降源具永)
1548年 正月5日:正五位下
1552年 2月28日:従四位下に昇り左中将
死没年の検討
これまでの通説として具永の死没年は1555年6月13日とされてきた。
しかし、 一方で外浜油川村(青森県青森市油川)の熊野山十二所権現社の棟札銘には、1559年頃に具永が同社を再興したとされている。また、平成23年『補略』と総称される公家名簿の史料郡が学会に相次いで紹介された。その補略には具永は1563年時点で存命と認識されていた。