阿波国を統治した三好家の重臣

三好 長治みよし ながはる

概 要

三好実休の子。篠原長房の後見を受けて家督を相続し、阿波国を統治する。
その後、長房と不仲になり異父兄・細川真之と共に長房を討つが、のちに長宗我部元親と手を結んだ真之と戦い敗死した。

  ポイント

  • 細川実休の子
  • 阿波細川家を傀儡化し阿波国を統治する
  • 阿波細川家の細川真之に敗れ敗死する

誕生・死没

  • 誕生:?
  • 死没:1577年
  • 享年:?歳

名 前

      
  • 千鶴丸(幼名)
  •   
  • 彦二郎(通称)

官位・役職

      
  • 官位:阿波守

所 属

親 族

三好実休
小少将(岡本牧西の娘)
兄 弟 細川真之(異父兄)
長治十河存保

略 歴

1562年 ?歳   父・実休が久米田の戦いで戦死
篠原長房の後見を受けて家督を相続
1570年 ?歳  三好家が信長の圧力により畿内から撤退
1572年 ?歳  細川真之と協力して篠原長房を攻め滅ぼす
1575年 ?歳  宗教問題から国内情勢が悪化する
長宗我部家が阿波国へ侵攻
1576年 ?歳  細川真之が阿波国を出奔
細川真之に敗れ敗死

出 自

三好家の重臣・三好実休の嫡男として誕生

詳細は不明だが、長治は1553年以降に三好実休の長男として誕生した。
母は阿波細川家・細川氏之の正室・小少将
※氏之は実休によって敗れ自害した。

篠原長房の補佐を受けて家督を相続

家督を継いだ長治だが、まだ幼少だったため長治の重臣・篠原長房の補佐を受け家督を相続した。

畿内の情勢

三好家と織田家が争う

足利義昭を擁立し上洛した織田信長より劣勢となった三好氏は、次第に畿内から追われて阿波国に撤退した。
1570年、四国に退いた三好三人衆と篠原は本州への反攻を画策。摂津国では、管領細川氏の嫡流・細川昭元を大将にし、三好義継を除く三好一門の大半を結集して、織田信長と戦いに信長軍に勝利し、摂津・河内・和泉の三国をほぼ三好家の勢力下に取り戻した。(野田・福島の戦い)
しかし、その後和睦し本国の阿波に撤退した。

阿波の統治

篠原長房との戦い

1572年、長治と長房の関係が悪化すると、長治は異父兄である守護の細川真之と協力して篠原氏を攻め滅ぼした(上桜城の戦い)。
だが、長治の暴虐的な治政に対し、讃岐国の有力国人である香川之景香西佳清らは三好氏から離反をした。

長宗我部との戦い

1575年、長治は阿波全土の国人や領民に対して法華宗への改宗を強要した。しかし、この政策は国人や領民の支持を失った上に他宗からの反感まで招き、阿波一国の支配力さえ喪失しかねない状態まで悪化した。このような国内の混乱は、隣国・土佐国の長宗我部元親による阿波侵攻を誘発、海部城や大西城などが落とされた。

死 去

1576年、守護・細川真之が本拠の勝瑞を出奔した。
長治は真之を討つため、那東郡荒田野へ出陣したが、一宮成相や重臣の伊沢越前守が離反したため敗れた。その後、篠原長秀の居城・今切城に籠もったが一宮勢の攻撃により追われ自害した。