一計を案じて細川高国を捕縛した三好家一門

三好 一秀みよし かずひで

概 要

三好長之の三男。三好之長の弟。細川晴元や三好元長に従い「大物崩れ」細川高国を打ち破り、捕縛する。
その後、木沢長政の飯盛山城を攻めるが一揆勢により三好元長と共に敗られ

  ポイント

  • 三好長之の三男。三好之長の弟
  • 「大物崩れ」の戦いで細川高国・浦上村宗の軍勢を撃ち破る
  • 飯盛山の戦いにて破れ打ち取られる

誕生・死没

  • 誕生:???年
  • 死没:1532年
  • 享年:?歳

名 前

  • 勝宗(通称)

官 位

  • 民部大輔、山城守

主君

  • 細川晴元→三好元長

氏 族

親 族

三好長之
兄 弟 之長長尚一秀、家長
康長

略 歴

1531年 ?歳   細川高国、浦上村宗の軍勢を打ち破る(大物崩れ)
1532年 ?歳   木沢長政が守る飯盛山城を攻めるが破れ討ち死にする

大物崩れ

膠着状態が続いていた細川高国、浦上村宗の軍を破る

1531年、一秀は細川晴元三好元長に従い、膠着状態が続いていた細川高国・浦上村宗の軍勢を撃ち破り、逃走し潜伏した敵方の大将、高国を一計を案じて捕縛したという逸話が残っている。(大物崩れ)

高国の捕縛

大物崩れでの敗戦の混乱の中、大将の高国は戦場を離脱。崎の町内にあった京屋という藍染屋に逃げ込み藍瓶をうつぶせにしてその中に身を隠していたが、密告者の報を受けた一秀によって捕縛された。
一秀は、近所で遊んでいた子供達にまくわ瓜をたくさん持ってきて、「高国のかくれているところをおしえてくれたら、この瓜を全部あげよう」と切り出したという。子供達はその瓜欲しさに高国が隠れていた場所を見つけた。

最 後

飯盛山城の戦い

1532年、河内・山城守護の畠山義堯の家臣、木沢長政が義堯から守護職を奪い獲る企てが発覚、激怒した義堯から要請を受けた一秀は長政の拠る飯盛山城を攻めるも、長政からの援軍要請を受けた細川晴元によって撤兵命令を下されたため、一旦撤退している。

しかしその翌年、態勢を整えた義堯と一秀は飯盛山城を再び攻めたが、敵方の細川晴元は山科本願寺に一揆勢の蜂起を要請。証如の軍勢は摂津・河内・和泉の本願寺門徒に動員をかけ、これに応じた門徒約3万人が三好軍の背後を襲撃し義堯・一秀勢は撃ち破られ、一秀も討ち取られた(一説には元長と共に和泉の顕本寺で自害したとも言われている)。

参考資料(引用元)