ポイント
- 松平利長の長男。松平清康の従兄弟
- 家康の家臣として各地の戦いに従軍する
- 常陸国土浦藩の初代藩主
誕生・死没
- 誕生:1539年
- 死没:1624年
- 享年:85歳
名 前
- 勘四郎(通称)
官 位
- 従四位下・伊豆守
所 属
略 歴
1539年 | 0歳 | 松平年長の長男として誕生 |
1558年 | 19歳 | 品野城への夜襲戦に参陣 |
1563年 | 24歳 | 三河一向一機鎮圧戦で活躍 |
1568年 | 29歳 | 信長の上洛の際に援軍の将として派遣される 六角氏攻めで活躍 |
1575年 | 36歳 | 長篠の戦いに参戦 |
1590年 | 51歳 | 家康が関東に国替え 下総国布川に5000石領する |
1600年 | 61歳 | 家康が関東に国替え 常陸国土浦藩の初代藩主となる |
1604年 | 65歳 | 桜井松平家から信吉を養子に迎える |
1624年 | 85歳 | 桜井松平家から信吉を養子に迎える |
誕生と藤井松平家
☆ 家康の曾祖父・松平長親の五男として誕生
誕生年は不明だが松平家5代目当主・松平長親(家康の曾祖父)の五男として誕生する。
父・長親は、勢力を拡大して安定をはかるため、一族を福釜、桜井、藤井などに配置した。利長は藤井の地を与えられ、南の西条、東条吉良家に備え、ここに藤井松平家が誕生した。
織田家との戦い
☆ 安祥城の戦い
1540年、織田信秀軍が松平家の三河安祥城を攻撃した、松平家は一時劣勢になるが、利長は松平広忠の命により、松平(源次郎)信康、松井忠次、松平(甚六郎)康忠とともに援兵として城を守った。
この戦いは激戦となり、城主・長家をはじめ、信康、康忠が戦死する中、利長は忠次とともによく防戦して、織田軍を撃退することに成功した(安城合戦)。
最 期
★ 死因は謎
1560年5月、利長は桶狭間の戦いの前哨戦でもある、尾張丸根城攻めで戦死した(但し書状等で永禄3年以降の生存が確認されており、戦死が誤りと言う説もある)。
★ 墓所
享年不詳。墓所は愛知県蒲郡市西浦町の法林山光忠寺。法名は「龍徳院殿奇春樹祥大居士」。
山形県上山市の月岡神社は利長・信一父子を祀るために1877年に建てられたとされる。