秀吉の参謀として天下取りを助けた戦国随一の智将

黒田 官兵衛(孝高)くろだ かんべえ(よしたか)

黒田職隆の墓

官兵衛の肖像画(崇福寺蔵)

概 要

播磨国・小寺氏の重臣。祖父は目薬の販売で成功を成し、その財産で小寺家の家臣となった。
主君・小寺政職に信長への帰属を進言し、以後、信長の中国討伐を担当していた秀吉の寄騎となった。
その後は。秀吉の四国攻めに参画し、軍奉行として九州攻めで活躍し、秀吉の天下取りに大きく貢献した。
関ケ原の合戦では石田三成と合わず徳川方に味方し、嫡男・長政と共に大きな戦功を得たがその才能を恐れられ禄高は豊前中津12万石に 抑えられた。

  ポイント

  • 播磨の大名・小寺政職の重臣
  • 政職に織田家への従属を進言し、以後、豊臣秀吉の寄騎となる
  • 秀吉の参謀として活躍し秀吉の天下統一に大きく貢献した

誕生・死没

  • 誕生:1546年
  • 死没:1604年
  • 享年:59歳

名 前

  • 小寺万吉(幼名)
  • 祐隆、孝隆、孝高
  • 如水円清(法名)
  • 官兵衛(通称)
  • 如水軒(号)
  • 水鏡権現(神号)
  • 龍光院殿如水円清大居士(戒名)
  • シメオン(霊名)

墓 所

  • 福岡市博多区千代の崇福寺
  • 京都市北区の大徳寺塔頭龍光院
  • 和歌山県伊都郡高野町の高野山奥の院

氏 族

親 族

黒田職隆
岩姫(明石正風の娘(小寺政職の養女))
正室 櫛橋光
兄 弟 孝高(官兵衛)利高利則直之
香山妙春(三木清閑の妻)、秋山妙円尼(虎、尾上武則の妻)
心誉春勢(一柳直末、のち伊藤是庵室)、浦上清宗
長政熊之助
養子 一成、松寿丸

略 歴

1546年 1歳  黒田職隆の子として誕生
1561年 16歳  小寺政職の近習となる
1562年 17歳  初陣
1567年 22歳  家督を継承する
櫛橋伊定の娘・光(てる)を正室に迎える
1575年 30歳  主君・小寺政職が織田信長に臣従する
1577年 32歳  英賀合戦で毛利軍を撃退する
信長のもとへ嫡男・長政を人質として差し出す
姫路城本丸を秀吉に提供
秀吉の上月城攻めに先陣として参陣
1578年 33歳  荒木村重が謀反を起こす
官兵衛が村重によって監禁
小寺家が毛利家へ離反
1579年 34歳  官兵衛が救出される1年半の監禁により足が不自由になる
1580年 35歳  別所家の三木城を落とす
織田信忠が小寺家の御着城を攻め落とす(大名としての小寺家が滅亡)
1581年 36歳  別所家の三木城を落とす
織田信忠が小寺家の御着城を攻め落とす(大名としての小寺家が滅亡)
秀吉の鳥取城攻めに参陣
1582年 37歳  備中高松城攻めに参陣し水攻めを成功させる
本能寺の変
山崎の戦い
1583年 38歳  大阪城の縄張りに当たる
賤ヶ岳の戦い
1584年 39歳  小牧・長久手の戦いで撤退戦に参加
1585年 40歳  四国攻めで功績をあげる
1586年 41歳  九州征伐で軍奉行として活躍
九州討伐後、博多の復興にあたる
1587年 42歳  九州征伐で軍奉行として活躍
九州討伐後、博多の復興にあたる
1589年 44歳  家督を嫡男・長政に譲る
1590年 45歳  小田原征伐で北条氏政・氏直父子を説得し無血開城させる功績を立てた
1592年 47歳  文禄の役に参陣するが病を理由に帰国
1593年 48歳  秀吉が画策した晋州城攻略計画に反対して秀吉と対立
1597年 52歳  慶長の役で軍艦として釜山に対陣
1598年 53歳  豊臣秀吉が死去
1600年 55歳  関ケ原の戦いが勃発
官兵衛は東軍に属し大友軍に勝利する
1604年 59歳  死 去

参考資料(引用元)