葛西家の戦国大名としての基礎を築いた人物
葛西 晴胤
ポイント
- 葛西家15代当主
- 天文の乱では伊達晴宗側につき葛西晴清を倒す
- 葛西家の戦国大名としての基礎を築きあげた人物
誕生・死没
- 誕生:1486年
- 死没:1537年?1543年?
- 享年:51歳?57歳?
名 前
- 高信(初名)
官職・役職
- 従五位下:左京大夫
所 属
略 歴
1497年 | 0歳 | 葛西家代14代当主・葛西晴重の子として誕生 |
1542年 | 45歳 | 天文の乱が起きると伊達晴宗に協力し晴宗の実弟で葛西家に養子に入った晴清を倒す |
1555年 | 58歳 | 死去 |
概 要
室町後期の奥州葛西氏当主。1536年本拠地を石巻城から寺池城へ移す。その後、伊達家内で天文の乱が起こると晴宗に協力したという。
1549年将軍・足利義晴より偏諱を受け名を「晴胤」と名乗る。葛西氏の戦国大名としての礎を築いた。
生い立ちと家督相続
葛西家14代当主・葛西晴重の次男として生まれる。初名は「高信」と名乗っていたが、葛西家には将軍家より偏諱の授与を受けるのが慣しとしてあり、当時の将軍・足利義晴より偏諱を受け名を「晴胤」と名乗る。
兄・守信が早世したため、家督を継ぐ。
天分の乱
伊達家で「天分の乱」が起きると晴胤は、伊達晴宗側に協力し、晴清(稙宗の子で晴宗の実弟)が稙宗側についたため、葛西家中では晴胤と晴清が争う事になる。この戦いは晴胤が勝利し。その後伊達家との同盟関係を強化した。