伊達家に寝返った父と対立、摺上原合戦で敗北し常陸に逃れる

猪苗代 盛胤いなわしろ もりたね

猪苗代家の居城・猪苗代城跡

  ポイント

  • 蘆名家庶流で盛国の子、猪苗代家13代目
  • 伊達家に寝返った父と対立
  • 摺上原合戦で敗北し主君・盛重に従い常陸に逃れる

誕生・死没

  • 誕生:1565年
  • 死没:1641年
  • 享年76歳

名 前

  • 左馬介(幼名)

所 属

官職・役職

  • 不 明

親 族

  •  父 :猪苗代盛国
  • 兄弟 :盛胤、猪苗代宗国(弟)、猪苗代盛明(弟)
  •  子 :猪苗代盛親

略 歴

1565年…猪苗代盛国の嫡男として誕生
  
1585年…父・盛国が隠居し家督を継ぐ
  
1588年…父・盛国に猪苗代城を奪われ親子で対立する
  
1589年…蘆名側として、摺上原の戦いで先鋒として伊達軍と戦うが敗北
  
1641年…死 去

概 要

蘆名家臣。盛国の子。摺上原合戦で主家が敗れたあと、主君・盛重に従い常陸に逃れる。のちに盛重のもとを去って故郷の猪苗代に戻り、同地で余生を送った。

父・盛国との対立

1565年、陸奥国猪苗代城主・猪苗代盛国の子として誕生した。
1585年、父・盛国から家督と猪苗代城を譲られたが、後に盛国が後妻との子・宗国を溺愛するあまり盛胤の廃嫡を画策、これにより居城を奪われ、父子で対立、抗争が続く。

摺上原の戦い

伊達家が蘆名領に侵攻すると、父・盛国は伊達政宗に与したが、盛胤は蘆名方にとどまり先鋒として父の手勢などの伊達軍と戦い、奮戦した。戦後は蘆名義広に従って常陸国へ落ち延びた。

その後

後に義広の下を離れて故郷の猪苗代に戻り、1641年に同地で死去。
福島県耶麻郡猪苗代町内野には盛胤の墓が残っており、また、同町五輪原の国立磐梯青少年交流の家敷地内に盛胤を偲んで造られた五輪塔がある。

参考資料(引用元)