阿波細川家8代当主
祖父・成之の後見のもと、中央政権と関わった

細川 之持ほそかわ ゆきもち

概 要

細川義春の嫡男として誕生。弟は細川政元に養子入りした細川澄元
父・義春が死去すると祖父・成之の後見のもと阿波細川家を継承したが、実質の政務は成之が取り仕切った。

  ポイント

  • 阿波細川家8代当主
  • 細川義春の長男で細川澄元の兄として誕生
  • 祖父・成之後見のもと中央政権と関わる

誕生・死没

  • 誕生:1486年
  • 死没:1512年?1533年?
  • 享年:26歳?47歳

主君

氏 族

役 職

  • 室町幕府:阿波守護

親 族

細川義春
兄 弟 之持澄元細川政賢(細川典厩家)の正室
氏之久米義広の正室

略 歴

1468年 0歳   細川成之の次男として誕生
1479年 11歳   伊予国に侵攻し河野氏と戦う
1488年 20歳   兄・政之が死去したため阿波細川家の家督を継ぐ
1491年 23歳   将軍・義材(義植)から偏諱を受け之勝から義春と名乗る
1494年 26歳   伊勢貞陸と山城守護をかけ争う
1495年 27歳   死 去

出生と家督相続

阿波細川家7代当主・細川義春の嫡男として誕生

1486年、之持は阿波細川家7代当主・細川義春の子として誕生した。
弟には細川政元のもとへ養子入りとなった細川澄元がいる。

父・義春が早世したため祖父・細川成之の後見を受けて家督そ相続する

1488年、阿波細川家6代当主・政之(之持の伯父)が早世した。
そのため、之持の父・義春が急遽実家に戻り阿波守護を継承、しかし、義春も1497年に早世したため、之持は祖父・細川成之の後見を受けて家督を相続し、阿波守護となった。
その後、元服して伯父・成之と大叔父・持常より一字づつとり「之持」と名乗った。

を匿い養育している。

中央政権との関わり

祖父・成之の後見のもと中央政権の争いに関わる

家督相続した之持は、祖父・成之の後見のもと中央政権の争いに関わった。また、弟・澄元が擁立していた11代将軍・足利義澄の 次男・足利義維(後の堺公方)

死去

1511年に祖父、祖父・成之が死去すると翌年1512年に之持も跡を追うように死去し。阿波守護家は子の氏之(持隆)が継いだ。
※1533年2月に死去したとする説もある。

参考資料(引用元)