父・政賢と共に細川高国と争った典厩細川家当主
細川 澄賢
概 要
典厩細川家・細川政賢の子。細川澄元が高国に敗れると澄元と共に四国に逃亡し、以後も高国と争いを続ける。
ポイント
- 典厩細川家・細川政賢の子
- 支持する細川澄元が高国に敗れると澄元ともに四国へ逃亡
- 高国によって細川尹賢が典厩細川家当主となり、細川典厩家は分裂する
誕生・死没
- 誕生:???年
- 死没:1521年
- 享年:?歳
名 前
- 龍華院蘭英秀公(戒名)
主 君
略 歴
1506年 | ?歳 | 元服 |
1511年 | ?歳 | 船岡山合戦で父・政賢が死去 |
1521年 | ?歳 | 死 去 |
誕生と四国亡命
出生年については不明。
細川政賢の子として誕生し、永正の錯乱の前には元服する。
その後、細川澄元と細川高国が京兆細川家の家督争いが勃発(両細川の争い)すると、
父・政賢とともに澄元を支持した。
しかし、澄元が高国に敗れると本拠地である摂津国を追われ澄元と共に四国へ逃亡した。
二つの典厩家
1511年、父・政賢が京を目指し畿内に上陸するが、高国方の大内義興に敗れ戦死する。(船岡山合戦)
澄元は澄賢を典厩家の当主に任命したが、高国は細川尹賢を典厩家の当主としたため、典厩細川家は二つに分裂してしまう。
父を失った後も澄賢は澄元を支持し、高国と争うが1521年に死去した。
細川澄賢が出演したドラマ
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無し