阿波細川家10代当主
三好家からの脱却を図った
細川 真之
ポイント
- 阿波細川家10代当主
- 三好家の傀儡として阿波細川家の家督を継ぐ
- 長宗我部家と手を結び三好家からの脱却を図る
誕生・死没
- 誕生:?
- 死没:1582年
- 享年:?
- 墓所:徳島県徳島市の丈六寺
主君
氏 族
役 職
- 室町幕府:阿波守護
官 位
- 讃岐守
略 歴
1531年 | ?歳 | 細川氏之の子として誕生 |
1553年 | ?歳 | 父・氏之が三好実休によって殺害される 三好家傀儡として阿波細川家の家督を継ぐ |
1566年 | ?歳 | 阿波守護として足利義栄を奉じ篠原長房ら阿波勢と本州に上陸 |
1578年 | ?歳 | 三好家から逃亡し長宗我部元親とともに三好長治を討つ |
1582年 | ?歳 | 長宗我部家が阿波へ侵攻し十河存保を破る 十河存保が阿波へ侵攻し真之を破り真之が自害する |
誕生と家督相続
細川氏之の子として誕生
詳細はわからないが、真之は9代目阿細川家当主・細川氏之の子として誕生した。母は小少将。
三好家の傀儡として阿波細川家の家督を継ぐ
1553年、父・氏之が三好実休(三好長慶の弟)によって殺害されると、真之は実休に擁立され阿波細川家の家督を相続する。またこの時、母・小少将が実休の継母となり、三好長治を生んでいる。
阿波細川家の家督を継いだ真之だが、実際は三好家の傀儡状態であった。
三好家からの脱却
長宗我部家と手を結び三好長治を討つ
三好実休の死去後もその子・三好長治に傀儡として利用され真之は、1578年に三好家からの脱却を決意し、勝瑞城を脱出して福良連経を頼って那賀郡の仁宇山中に逃れて再起を図った。
真之は同じく長治に対して不満を持つ一宮成相らと手を結び、土佐国の長宗我部氏に救援を求めて、長治を討った。
長治の弟・十河存保との戦い
長治の死去後の阿波では、長治の弟で讃岐国の十河氏を継いだ十河存保が有力国人達に擁立され勝瑞城に入城した。
これにより真之方は、有力国人だった伊沢頼俊が滅ぼされるなど、真之にとって戦況は不利であった。また、長宗我部元親も織田氏と敵対し、信長の四国侵攻の脅威に晒されていた。
中富川の戦い
1582年、本能寺の変で織田信長が死去すると元親は阿波国へ侵攻、十河存保は敗れ、阿波統治の本拠である勝瑞城を失い、讃岐虎丸城に撤退を余儀なくされた(中富川の戦い)。
死 去
元親に敗れた十河存保は再び阿波国へ侵攻し、真之が守る茅ヶ岡城を攻め、敗れた真之は八幡原にて自害し、阿波細川家は滅亡したという。
※異説あり