幕府の御供衆を務めた典厩細川家出身の武将

細川 元賢ほそかわ もとかた

概 要

管領家京兆細川家の分家である典厩細川家出身。毛利家臣・三浦元忠に養子入りし以後、毛利家臣として関ケ原合戦等に参陣した。

  ポイント

  • 典厩細川家出身
  • 毛利家臣・三浦元忠に養子入りし毛利家臣となる
  • 関ケ原合戦に参陣

誕生・死没

  • 誕生:1574年
  • 死没:1631年
  • 享年:58歳

名 前

  • 三浦四兵衛
  • 主水(通称)
  • 宗炎(法号)
  • 清林院梅叟宗院(戒名)

主 君

親 族

細川藤賢
兄弟 藤次、元賢、柳川豊前室
義兄弟 後藤基次室・仙洞院
乗賢、重賢

略 歴

1574年 0歳   典厩細川家当主・細川藤賢の次男として誕生
1600年 26歳   関ケ原の戦いに参陣
1631年 58歳   死 去

誕 生

元賢は、室町幕府の御供衆を務めた名家である典厩細川家の当主・細川藤賢の次男として誕生した。※典厩細川家は管領を務めた細川家の分家である。

生 涯

詳細や時期は不明だが、毛利輝元の家臣・三浦元忠の養子入りし、文禄・慶長の役のにも従軍するなど毛利家臣として活躍した。
1600年、関ヶ原の戦いの前哨戦である、「大津城の戦い」では、西軍として京極高次の大津城を攻めた。
関ヶ原の戦い後は、備前岡山藩主・池田忠雄に仕え、1631年に山城国伏見にて58歳で亡くなったという。

細川藤賢が出演したドラマ

  • なし

参考資料(引用元)