阿波細川家6代当主。父・成之と阿波を共同統治する
細川 政之
概 要
細川成之の長男として誕生。父・成之が出家すると阿波細川家の家督を継ぎ成之と共に阿波を共同統治する。しかし、1488年に父に先立って死去する。
ポイント
- 阿波細川家6代当主
- 細川成之の長男として誕生
誕生・死没
- 誕生:1455年
- 死没:1488年
- 享年:34歳
名 前
- 弥九郎(通称)
氏 族
官 位
- 兵部少輔
役 職
- 室町幕府:阿波守護
略 歴
1455年 | 0歳 | 細川成之の長男として誕生 |
1467年 | 12歳 | 応仁の乱が勃発 東軍に属し西軍と戦う |
1478年 | 23歳 | 父・成之が出家したため家督を継承 |
1482年 | 27歳 | 反乱軍討伐のため阿波に帰国 |
1488年 | 34歳 | 死去 |
出 生
阿波細川家5代当主・細川成氏の長男として誕生
1455年、政之は阿波細川家5代当主・細川成之の子として誕生する。
父と同じ、8代将軍・足利義政より偏諱(「政」の字)を受け「政之」と名乗った。
応仁の乱
応仁の乱が勃発すると、政之は父と共に東軍側として参戦し細川政元を支援した。
家督相続
父・成之が出家したため、家督を継承する
1478年、娘の死を悲しんだ成之が突如出家した。そのため、政之は阿波守護職を譲られ阿波細川家の家督となり、父と共に共同統治を行った。
ところが、突然の当主交替に阿波細川氏の家臣は動揺し、家臣同士の対立や政之追放の企てが発覚するなどの事態が生じた。
度重なる内紛
1482年、政之の家臣と所司代の家臣が斬り合いを起こして将軍の親裁で政之側が敗訴、憤った政之は父や重臣の反対を押し切って阿波に帰国してしまった。
その後、政之は再度上洛するが、その直後、家臣の一部が成之父子に背いて阿波に帰国し現地で反乱を起こした。このため、成之・政之は急遽阿波に下向して反乱を鎮圧、後継者としての力量を見せた。
死 去
参陣中に病死する
三河守護
1488年、政之は第一次六角征伐である「鈎の陣」の参陣中に病死した。34歳の若さであった。
政之には実子がいなかったため、備中守護家を継いでいた実弟の義春が実家に戻って家督を継いだ。