織田家に属した典厩細川家当主
細川 藤賢
概 要
管領家京兆細川家の分家である典厩細川家当主。
初めは足利義輝、義昭に仕えるが義昭が信長に敗れると信長に降伏した。以後は信長に仕え近江国・坂本城を任された。
ポイント
- 典厩細川家当主
- 義輝、義昭につかえた後に信長、秀吉に仕える
誕生・死没
- 誕生:1517年
- 死没:1531年
- 享年:74歳
名 前
- 和匡→藤賢
- 四郎(通称)
- 春光院清月宗円(戒名)
官 位
- 和匡→藤賢
- 四郎(通称)
- 春光院清月宗円(戒名)
役 職
- 室町幕府:御供衆
略 歴
1517年 | 0歳 | 典厩細川家当主・細川尹賢の次男として誕生 |
1540年 | 23歳 | 従五位下右馬頭に叙任される |
1581年 | 64歳 | 信長の京都御馬揃えにも旧公方衆として参加して |
1590年 | 74歳 | 死去 |
幕府の仕官として
初めは室町幕府13代将軍・足利義輝(義藤)に仕えるとその偏諱を受けて「和匡」から「藤賢」と改名した。
1565年、義輝が三好三人衆に殺害されると、松永久秀に属し、その後、織田信長に擁立され上洛した15代将軍・足利義昭に仕えた。
信長の家臣として
1573年、義昭が信長と義昭が対立し信長討伐の挙兵をしようとすると、藤賢はこれを止めようと説得するが、聞き入れて貰えず義昭は挙兵、藤賢もこれに従い信長と戦ったが居城を信長軍に城を包囲され降伏、以後、信長に仕えた。
信長の家臣となった藤賢は近江の坂本城を任され、京都御馬揃えにも旧公方衆として参加している
信長の死後は豊臣秀吉に仕えたが、1590年に京都にて死去した。
逸 話
信長が義昭のために築いだ二条御所には、藤賢の屋敷の庭にあった「藤戸石」という名石が使われており、この石を運ぶ作業の指揮も信長自らが行ったといわれている。
細川藤賢が出演したドラマ
- 大河ドラマ「麒麟がくる」(2020年)
役:島英臣