細川晴元と争った野州細川家5代目当主
細川 晴国
ポイント
- 管領細川家の分家である野州細川家出身
- 野州細川家5代目当主
- 細川晴元と戦う
誕生・死没
- 誕生:1516年
- 死没:1536年
- 享年:21歳
名 前
- 虎益(虎増)→晴国
- 八郎(通称)、晴総
- 龍昇院(戒名)
同い年の人物
略 歴
1516年 | 0歳 | 細川政春の嫡男として誕生 |
1518年 | 3歳 | 父・政春が病死し家督を継承 |
1526年 | 11歳 | 元服 |
1531年 | 16歳 | 大物崩れによって兄・細川高国が細川晴元に敗れ戦死 |
1533年 | 18歳 | 高国の意志を継ぎ山城国で挙兵 |
1536年 | 21歳 | 細川晴元に自害追い込まれ死去 |
誕生と元服
1516年、野州細川家4代目当主・細川政春の嫡男として誕生した。
晴国が3歳の時に父・政春が死去、そのため、兄・細川高国のサポート受け晴国が野州家の家督を継承した。
その後、1526年に兄の養子である・細川氏綱と同時に元服し、12代将軍・足利義晴から偏諱を受け「晴国」と名乗った。
高国の意志を継いで挙兵
1531年、兄・高国が細川宗家の家督争いをしていた細川晴元に敗れ自害した。
そのため、高国派の勢力は晴国を京兆細川家の当主として擁立、これを受け晴国は京兆細川家の当主を巡り山城国で挙兵し、晴元と戦った。
序盤こそは、石山本願寺と結んだ晴国が優勢で戦況は進んだが、石山本願寺と晴元が和睦を結ぶと次第に晴国側が劣勢に追い込まれ1536年に晴元と内通した三宅国村の裏切りにより、摂津天王寺で自害に追い込まれた。
晴国の死後
晴国の死後の野州家の家督相続については2説あり、まず1説は傍流の通董が継承したという説。
もう1説は晴国の弟の通政が継いだという説。
ただし、通政の説については、細川通董の子孫である長府細川家が野州家の直系であることを示すために架空で創作した人物であり、この説は後世で創作されたということが有力視されている。
また、晴元との抗争は高国の養子となっていた細川氏綱が受け継ぐことになった。
細川高国が出演したドラマ
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無し