細川晴元の政権奪取に貢献した典厩細川家当主

細川 晴賢ほそかわ はるかた

概 要

典厩細川家・細川澄賢の子。父の意思を継ぎ細川澄元を支持する。澄元が死去し細川晴元が家督を継ぐとその政権奪取に貢献した。
その後、晴元に反乱を起こした三好長慶に敗れ四国へ逃れた。

  ポイント

  • 典厩細川家・細川澄賢の子
  • 細川晴元の政権奪取に貢献
  • 細川晴元に反旗を翻した三好長慶に敗れ四国へ逃れる

誕生・死没

  • 誕生:???年
  • 死没:???年
  • 享年:?歳
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名 前

  • 瑞雲院維天高名(戒名)

主 君

親 族

細川澄賢
弥九朗、輝賢?

略 歴

1526年 ?歳   細川晴元の先陣として堺へ上陸
1531年 ?歳   大物崩れで細川晴元が政権を奪取
1548年 ?歳   三好長慶が晴元から反旗を翻す
1549年 ?歳   長慶に攻められ四国を逃亡

誕 生

典厩細川家・細川澄賢の子として誕生。
将軍・足利義晴より「晴」の一字を賜って「晴賢」と名乗り元服する。

細川晴元の家臣として

晴元の家臣として各地を転戦し晴元の政権奪取に貢献

1526年に高国方の典厩家当主・細川尹賢の調略により香西元盛が誅殺されると、その兄弟の波多野元清・柳本賢治が高国から離反する。
これをきっかけとして、細川晴元が挙兵、晴賢は先陣として、細川元常、三好長家・政長兄弟らとともに阿波から堺へ上陸し、1531年の「大物崩れの戦い」にも参陣し高国を破り 晴元の政権奪取に貢献した。

四国へ逃亡

細川晴元に反旗を翻した三好長慶に敗れ四国へ逃亡

1548年、細川晴元の下で勢力を拡大した三好長慶が謀反を起し晴元と対立した。
晴賢は晴元側について戦ったが、晴賢と三好政長が籠る柴島城を長慶に攻められると、晴賢らは城を明け渡し四国へ逃亡した。
以後、晴賢含めその遺族の動向は不明である。

細川晴賢が出演したドラマ

    無し

参考資料(引用元)