秀吉最古参の家臣

蜂須賀 正利はちすか まさかつ

ポイント

  • 尾張国に力を持つ国人領主
  • 斎藤家に仕える
  • 蜂須賀正勝の父

概 要

尾張海東郡蜂須賀村の国人領主。蜂須賀正成の次男。斎藤家や織田家に仕えた。蜂須賀正勝の父。

基本情報

(藤原氏・尾張国海東郡蜂須賀郷の国人)
誕 生????年
没 年1553年(??歳)(病死)
墓 所高野山光明院
戒 名秀月正定禅門
氏 族蜂須賀氏
主 君斎藤道三織田信賢織田信清織田信長豊臣秀吉
家族構成
蜂須賀正成
不明
正室高岸宗養禅定尼
継室大橋定広の娘
前室某氏
正室不明
側室シヤク
兄弟正忠、正利、実道
八右衛門、正勝、又十郎、正信、墨(黒田官兵衛室)、正元、女(梶浦雅範室)

生涯

蜂須賀氏は斯波氏の支流として清和源氏の末裔を称し、尾張守護の斯波義重に従って尾張国に入り、海東郡蜂須賀村を代々領した国衆。
斯波氏の没落後は、美濃国の戦国大名・斎藤道三に従ったが、一時的に織田信秀に従ったことがあり、信秀と不仲になって蜂須賀城を追われ、尾張宮後村(宮後城)に住むようになり、再び道三に与したという。

一説として豊臣秀吉の父・木下弥右衛門が村長として蜂須賀小六に仕えた話を紹介し、その縁で秀吉は放浪時代に蜂須賀氏と関係があった可能性を示している。