畠山義就の長男
畠山 修羅
ポイント
- 畠山義就の長男
- 16歳の若さで死去し子供が弟・義豊と家督争いする
概 要
畠山義就の長男で義豊の兄。16歳で死去し、子供が弟の基家と後継者争いをしたとされる。
基本情報
| 誕 生 | 1468年 |
| 没 年 | 1483年(16歳)(病死) |
| 幼 名 | 修羅法師 |
| 氏 族 | 畠山氏(総州家) |
| 家族構成 |
| 父 | 畠山義就 |
| 母 | 不明 |
| 兄弟 | 修羅、畠山義豊 |
| 子 | 不明 |
略 歴
| 1468年 |
1歳 |
畠山義就の長男として誕生 |
| 1470年 |
3歳 |
大和の国人・古市胤栄に預けられる |
| 1474年 |
7歳 |
越智家栄のもとへ避難 |
| 1483年 |
16歳 |
死去 |
生涯
1468年に畠山義就の長男として誕生した。父・義就は修羅が生まれる前に能登守護家より畠山政国を養子にしていたが、修羅が誕生すると政国を廃嫡した。
1470年、義就が上洛すると修羅は大和国人の古市胤栄に預けられたが、1474年に大和国の越智家栄の館に避難した。その後、1483年、16歳の若さで死去した。畠山総州家の家督は弟の義豊が後継者となった。
修羅には子供がいたとされ、基家と跡目を巡って争ったとされるが、事実である証拠はない。