六角家臣から信長に臣従した六角家臣

後藤 高治ごとう たかはる

ポイント

  • 父・賢豊は観音寺騒動で六角義治に殺害される
  • 六角家から織田家に寝返った

概 要

六角家の重臣だった父・賢豊が六角義治に殺害されたため、家督を継いだ。信長が侵攻してくると六角家を離反し織田家に仕える。本能寺の変後、明智家に属したため所領を失った。その後、蒲生氏郷に仕えた。

基本情報

誕 生????年
没 年1589年
改 名後藤高治→戸賀十兵衛尉
別 名定豊、高安
通 称喜三郎
氏 族後藤家
主 君六角義治→織田信長→明智光秀→蒲生氏郷
家族構成
後藤賢豊
山崎宗家の娘
兄弟 壱岐守、高治
千世寿、金右衛門

略 歴

1563年 ?歳 
父・賢豊が義治に殺害される(観音寺騒動)
高治が六角家と敵対
1567年 ?歳  六角家と和睦し後藤家の家督を継ぐ
1568年 ?歳  信長の上洛が六角領に侵攻開始
六角家を離反し織田家に臣従する
1569年 ?歳  大河内城攻めに従軍
1570年 ?歳  比叡山攻囲陣(志賀の陣)にも参加
1573年 ?歳  槇島城の戦いに参加
1578年 ?歳  信長の相撲大会の奉行を務める
1582年 ?歳  本能寺の変が勃発
明智光秀側についたため所領を失う
1584年 ?歳  従兄弟・蒲生氏郷に仕える
、伊勢佐田城攻めに参加
1586年 ?歳  九州征伐に参陣
1589年 ?歳  死去

生 涯

六角氏の重臣・後藤賢豊の次男として誕生。
1563年、父・賢豊と兄・壱岐守が主君・六角義治によって殺害されたため、父らの仇としてしばらく六角氏と敵対したが、1567年に和睦して後藤氏の家督を相続した。

1568年、織田信長が上洛を目指し六角領に侵攻すると、高治は六角氏から離反し信長に臣従した。

織田家に属した高治は大河内城攻めを始め。比叡山攻囲陣(志賀の陣)、槇島城の戦いになどに参陣したほか、 信長が開いた相撲大会の奉行などを務めた。
しかし、本能寺の変が起きると高治は信長を討った明智光秀に味方して山崎の戦いに 参加した。そのため、明智氏が滅亡すると高治は所領を追われた。
本能寺の変後は従兄弟にあたる蒲生氏郷に仕え、伊勢佐田城攻や九州征伐に参陣したまた、 「戸賀十兵衛尉」と名も改めている。1589年、京にて病死。知行3,000石は子の千世寿が継いだという。