千葉家27代当主。北条家と結び上杉家と対抗する
千葉 胤富
概 要
千葉家27代当主。昌胤の次男。初めは千葉家の庶流である海上氏を継いだが兄・親胤が暗殺されたため宗家の家督を継いだ周辺の佐竹、里見家が上杉家と結ぶ中で、北条家と結び、上杉軍に対抗した。
ポイント
- 千葉昌胤の次男で千葉氏27代目当主
- 元は千葉家庶流の海上氏を継いだ
- 北条家と手を結び、上杉家に対抗する
誕生・死没
- 誕生:1527年
- 死没:1579年
- 享年:53歳
名 前
- 海上九郎(通称)
官位・役職
- 下総権守
所 属
略 歴
1527年 | 0歳 | 千葉昌胤の次男として誕生 |
1557年 | 30歳 | 親胤が死没し家督を相続する |
1561年 | 34歳 | 正木信茂に臼井城や小弓城を奪われる |
1562年 | 35歳 | 臼井城や小弓城を奪還 |
1547年 | 33歳 | 死没 |
1579年 | 53歳 | 死没 |
家督相続
千葉氏の第24代当主である千葉昌胤の次男として誕生した。弟(または甥)親隆が宗家を継いでいたため胤富は初めは東総領主・千葉六党東氏一族の海上氏を継いだ。しかし、1557年に親胤が家臣の手により殺害されたため、胤富は宗家の家督を継いだ。家督を継いだ。
家督を継いだ胤富は室町幕府の奉公衆にならい、千葉一族や重臣などからなる森山衆を新設したといわれる。
関東戦乱
1560年、越後国の上杉謙信が関東に進攻し古河公方の足利義氏を攻めると、胤富は北条氏康の要請を受けてこれに援軍を送った。
またその翌年の1561年には里見氏の家臣・正木信茂の侵攻を受けて、臼井城や小弓城を奪われる。
上杉謙信が11万の大軍を率いて小田原城を攻めたときは、後北条氏に援軍を派遣した。しかしその後、上杉家と和睦し、鶴岡八幡宮で行われた謙信の関東管領就任式に参列。小山高朝と諸将の首位の座を争い、謙信の仲裁によって胤富が首座となった。
1562年、後北条氏の支援を受けて正木氏に奪われた臼井城や小弓城を奪還する。臼井城合戦では謙信を撃退している。
晩 年
その後は里見氏との交戦が続き、1571年には小弓城で里見義弘と戦っている。そして1579年に53歳で死没した。