葛西家家臣・富沢家が築城・居城した山城
葛西家と大崎家の狭間に位置した重要拠点であった

鶴丸城

つるまるじょう

  鶴丸城

鶴丸城跡 提供元:行くぜ栗原様


1.城データ

所 在

  • 宮城県栗原市栗駒岩ケ崎裏山93番地1 館山公園

築城年

  • 不 明

築城者

     
  • 富沢氏

別名

  • 岩ケ崎城

天守構造

  • 無し

城郭構造

  • 山城

遺構

  • 曲輪、堀、土塁、堀切、土橋

比高

  • 65メートル

主な城主

廃城年

  • 不 明

歴 史

鶴丸城は奥州・葛西氏の一族である富沢道祐が築城した。別名を「岩ヶ埼城」ともいう。
1590年に豊臣秀吉によって葛西家が滅ぼされると、伊達政宗の五男・宗綱、六男・宗信が城主となり、その後、石母田氏、田村氏、古内氏、茂庭氏、中村氏が城主となった。

立 地

岩ヶ崎城は、栗駒山麓に現栗原市北部を流れる三追川中流域の北岸丘陵上に立地する。 城の形状から鶴丸館と呼ばれる事が多い

規 模

標高100mの一番高所の平場を伝本丸とし、伝二ノ丸、伝三ノ丸と続いており、東にから17の平場によって構成されている。 本城は自然地形を最大限利用した縄張りで構成されている。

現 在

現在は城跡公園として整備されており、場内には桜、紫陽花、紅葉など四季折々の植物が植栽され、遊歩道も完備されている 三迫川との間に岩崎ヶ崎市街が広がっている。

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