蘆名盛氏が築城し隠居生活を送った山城

向羽黒山城むかいはぐろやまじょう

阿賀川対岸から望む向羽黒山城跡 阿賀川対岸から望む向羽黒山城跡


1.城データ

築城年

  • 1600年

築城者

別名

  • 無し

天守構造

  • 無し

城郭構造

  • 平城

遺構

  • 堀、土塁、曲輪

比高

  • 50メートル

主な城主

廃城年

  • 1600年

立 地

上杉軍が徳川家康に備えた築城した城。栃木県今市から会津西街道を北上し、上三依の集落を超えた地点にある城。
ここから数キロ北上すると福島県との県境にあたる山王峠となる。男鹿川がつくる狭い谷の底部に城はある。

規 模

城跡付近では、谷の東端から道そして川の順に並ぶ。その男鹿川の西岸から大規模な土塁と堀が始まる。大規模な角馬出も西岸に設備されている。
角馬出はおよそ20×20メートル余の長方形をしている。西側と北側は土橋でつなぎ、東側は坂虎口となって道は南方向へと続く。

徳川家康の備えとして

関が原の合戦の時の徳川家康の会津攻めに備え、上杉勢は白河口などに普請を行い侵攻に備えた。
直江兼続は家臣(大国実頼)に命じて城を築城するよう命じた。 城は1ヶ月余で完成したが、家康は西へ進軍したため鶴淵城での戦いは行われなかった。

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