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1.城データ
立 地
青森県十和田市に所在する沢田館は、奥入瀬川南方1.75kmの丘陵の東端で、三日市館の西約4kmの地点にある。
館は東・北・南の三方面は沢地に面しており西側が陸続きとなっているが、地形的にはさほどの要害の地ではない。
沢田氏の居館
沢田館の起源ははっきりとわかっていないが、1592年の諸城破却書上には、「沢田 平城 破 恵比奈 左近 持分」とあるが破却を免がれ、また1598年の「館持支配書」には「沢田館 1,300石 沢田助三郎」とあることから沢田氏の居館であったと思われる。
沢田氏は南部家家幕の後七家の一人で、南部家から重用された。1591年の九戸政実の乱の時には三戸の南部信直に味方したと伝えられ。1592年に南部諸城が廃城されたときも、残された12城のひとつである。
構 造
沢田館は地形的にはさほどの要害の地ではない。そのため、奥入瀬川の小支流が流れている南方を除いた三方に二重堀をめぐらし、防備を厳重にしている。堀の一部は水堀と畝堀となっており、これらの遺構は現在もほぼ完全に残されている。
規 模
東西、南北ともおよそ100mで正方形の形をしており、堀幅は約15m、堀の中央にある中土塁は約2mである。
沢田館の重要性
沢田館を含めた奥入瀬川流域には、三日館・沢田館をはじめ多数の城館が築かれている。その理由の一つは、ここから八甲田山を越えて津軽地方に通じる道があり、それを抑える必要があったからだと考えられている。
もうひとつの理由はお子の奥入瀬川は南部氏の領地ではあるが、南部氏の中でも三戸南部氏、七戸南部氏の境界船にあたるため、境界領地の防御のために城館群が築かれたという説もある。