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1.城データ
概 要
従来大崎氏の居城は、名生城または中新田城とされることが多かった。しかし、近年、両城はいずれも16世紀後半の大崎氏の滑落のころの居城であることが知られてきた。変わって大崎氏全盛期のころ、つまり15世紀代の居城は旧古川北部に所在する小野城とする見解が一般化しつつある。
小野城は内館城、大崎城、小野木古館、小野御所などの別称があり、城主については大崎義宣説が有力である。
立 地
小野城は4キロ北の高清水から延々と続く低い丘陵地帯の南縁部に位置し、これより南には広大な大崎平野が広がる。
丘陵裾を大崎広域農道が通り、小野城は農道にそって東西700メートル、北へは最大400メートルに渡って展開している。
ちなみに現在、小野城を囲む水田は江戸時代まで千枝湖または大崎沼と呼ばれている沼地であり、「舟着」の地名が残っており。当時、舟着場があったことが考えられる。
大崎氏の栄光を物語る城
小野城における大崎氏の事跡は七代・教兼以降とだえる、九代・議兼の頃の大崎氏の本拠地は加美郡に移っていたらしい。
小野城は大崎領内屈指の規模で城内及び周辺に大崎四~七代に関わる地名、寺院跡が分布し、加えて当時の千枝湖に守られた城の景観は大崎地方では他に例を見ない。大崎氏栄光の時代の拠点であり、大崎御所であった。