1.城データ
築城年
- 完成:1334年
築城者
- 南部師行
別名
- 八戸城
天守構造
- なし
城郭構造
- 連郭式平城
遺構
- 土塁・堀
主な城主
- 南部氏
廃城年
- 1627年
年 表
1334年… | 南部師行が糠部郡の国代に任命され城を築城する |
1334年… | 師行が戦死し、南部家が弱体する。 |
1338年… | 南部氏8代・八戸政光が本領の甲斐から根城に移って南部氏の再興を図る(八戸氏の始まり) |
1592年… | 秀吉の命により城が破壊されるが、館は残され、これ以降も八戸氏の本拠であり続けた |
1627年… | 八戸氏22代・直義は利直により遠野城(岩手県遠野市)に移封となり根城は廃城となった |
概 要
1333年、鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇は近臣である北畠顕家を「陸奥守」に任命した。南部師行は北畠顕家に付き添っていたとされている。
糠部郡(現在の岩手県北~青森県東部)の国主に命ぜられた師行は糠部郡八森に城を構えた。師行はここを、南朝方の根本となる城という願いから「根城」と名付けたと言われている。根城は南部家の本拠として機能しており、発掘調査でも十七期にわたる、遺構変還が確認され、落城することな近世を迎えたとされている。
現在は城の約半分が「史跡・根城の広場」として整備・公開され本丸には主殿・中馬屋・工房・鍛冶工房・板倉・納屋・東門が復元されている。
また発掘調査にて出土された遺物は八戸博物間に展示されている。
根城広場 上空からの映像
立 地
太平洋に注ぐ馬渕川の河口から約5キロの位置、八戸市街地の西端にあり馬淵川南岸の河岸段丘上にある。
根城が作られた河岸段丘には多くの古代集落が存在しておりこの地が古くから河川による交通が盛んであったと考えられる。
構 造
城の標高は約20m~25m程で比高差がほとんどない8つの館(曲輪)が連なる連郭式の平城である。
8つの総面積は約10万6000㎡におよび。西側には主郭である本丸、東側には中館・東善寺・無名の館の3つの郭。
岡前館(東・西)・無名の館の3つの郭が南北に並列し、南端に張り出すように沢里館が作られている。
比高差がほとんど無い複数の郭が並列する構造は南部氏関連の城館に共通して見られる特徴である。