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1.城データ
概 要
宮城県村田町大字村田に所在する平山城。築城年ははっきりと分かっていないが、村田氏(下野小山氏の一族)が村田に居館を造ったのが始まりとされている。
戦国時代になると村田氏は伊達家臣となったが後に伊達稙宗の九男が村田氏に養子に入り完全に伊達家に組こまれた。
その後、村田氏が所領没収となり芝多氏が入城し幕末まで代々収めた
立 地
仙台市・岩沼市・大河原町方面から川崎方面へ至る街道を押さえる場所に位置する。
村田城の始まり
幕末まで存続した村田城だが、築城については、はっきりと分かっていない。
一説には室町時代に下野の有力領主であった小山氏の一族・小山業朝がこの地に移住して村田氏を名乗り居館を造ったのが始まりだという。
戦国期
戦国期になると村田氏は伊達氏家臣団に組み込まれていく。六代・村田近重の時に伊達政宗の九男が養子入りし「村田宗殖」と名乗った。
宗殖は伊達家に仕えて各方面で活躍したが、1591年に領地を没収され桃生郡に所替となった。
その後の村田城は城主の入れ替わりが激しく行われ、最終的には1684年に芝多氏が幕末まで代々治めた。