田村家の居城であった山城、現在は城跡が残り桜の名所となっている

三春城

みはるじょう

  三春城

三春城跡

1.城データ

築城年

  • 着工:不 明
  • 完成:不 明

築城者

  • 不 明

別名

  • 舞鶴城

天守構造

  • なし

城郭構造

  • 山城(江戸時代には平城になる)

遺構

  • 曲輪

主な城主

  • 田村氏
  • 蒲生氏
  • 加藤氏
  • 秋田氏

廃城年

  • 1871年

年 表

1504年… 田村義顕が守山城から三春城に居城を移す。
 
1586年… 清顕が死去し、清顕の夫人(相馬顕胤の娘)が三春城主となる
 
1588年… 相馬義胤が三春城に入場しようとするが、田村家の伊達派に撃退させる。
伊達政宗が三春城に入り田村家内の相馬派を一掃する。
(田村家が伊達家に従属)
 
1590年…豊臣秀吉の奥州仕置きにより、田村家が改易にあい、三春城は伊達家に預けられ、片倉家が置かれる。
 
1595年…田村領は蒲生領になり、「田丸直昌」が城主となる。
 
1609年…守山城主であった「蒲生郷成」が三春城主となる。

概 要

三春城はいつ頃建築されたのかわからない。史料上はっきりしていることは、永正年間(16世紀初頭)に田村義顕が守山城(現在の福島県郡山市)より三春城に本拠を移したという事だけだ。
現在は、公園として整備され桜の名所としても知られている。2017年には「続日本100名城」(110番)に選定された。

立 地

福島県田村郡三春町の中心部の標高407mの丘にある、山城である。
本丸の東南には「東館」と呼ばれる曲輪があり、ここには、田村隆顕夫人で伊達稙宗の娘(政宗の大叔母)でもある小宰相が暮らしていたとされています。伊達政宗が三春城に入場した際には、42日間の滞在中に15回も東館を訪れ、小宰相と面会したと記録が残っています。
谷を挟んだ北西には「月斎館」と呼ばれる曲輪があったとされる(江戸時代初期の改修により「東館」と「月斎館」は廃棄されている)
その後、秋田氏による改修では、丘上の本丸を丘のふもとに移し近代的な平山城へと移り変わった。

東館跡

東館跡

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