1.城データ
築城年
- 15世紀(1394年~1428年)
築城者
- 氏家直益
別名
- 臥牛城
- 岩手沢城
天守構造
- 無し
城郭構造
- 山城
遺構
- 曲輪、堀、土塁、虎口、石垣、堀切
比高
- 約50メートル
廃城年
- 1868年
年 表
15世紀… | 氏家直益によって築城 |
1590年… | 秀吉の奥州仕置きが行われ大崎家が滅亡。 葛西大崎一揆が勃発 |
1591年… | 一揆への関与を疑われた伊達政宗が秀吉により米沢から葛西・大崎旧領に移封されることとなる。 |
1601年… | 伊達政宗が仙台城に移る。 政宗の四男の宗泰を初代とする岩出山伊達家が居住す。 |
概 要
岩出山城(いわでやまじょう)は、陸奥国(のち陸前国)玉造郡(現・宮城県大崎市)にあった日本の城(一国一城令ののち要害)。伊達氏以前は「岩手沢城」と呼ばれており、古くは足利氏一門で奥州探題であった大崎氏の家臣・氏家氏の居城であった。
地元で、伊達政宗の城として認知されており「城山」とよばれ、現在城内は公園として整備されている。
立 地
古川と東北三大名湯に数えられる鳴子の中間に、かつての城下町「岩出山」が位置する。国道346号線の南側に岩出山の町並みが拡がり、その背景に荒々しい岩山が西に伸びる。この岩頭に位置するのが「岩出山城」である。
岩出山城は南を蛭沢川、北を内川に挟まれ、東端は城下に没する。西側の丘陵部も沢が入って遮断されているため、ほぼ独立丘陵に立地する。
城の歴史
岩出山城は14世紀中頃から16世紀末まで大崎家の重臣・氏家氏の居城として200年以上に及ぶ歴史がある。
しかし、奥州仕置き後、大崎家が滅亡すると、1591年徳川家康によって縄張等の改修を行い、葛西大崎一揆への関与を疑われた伊達政宗が米沢から移封。
岩出山城は政宗の居城となった。政宗はその後1601年仙台城を築き、移った。その後、岩出山城は政宗の四男の宗泰を初代とする岩出山伊達家が居住する要害になり、明治維新までつづいた。