南部氏における津軽地方の重要拠点であり
津軽為信独立の第一歩となった城
石川城
大仏ヶ鼻城跡(大仏公園)
1.城データ
年 表
1334年… | 津軽曽我氏によって築城される |
1385年頃… | 南部氏により制圧される |
1553年… | 石川高信が入場し大仏ヶ鼻城を築城する |
1571年… | 津軽為信の急襲を受けて落城。津軽家臣・板垣将兼が守る |
1611年… | 弘前城築城に際し廃城となる |
概 要
石川城は津軽地方において屈指の知名度を誇る城跡である。
主に南部氏家臣石川高信の居城であり、津軽為信が南部氏から独立した際に最初に攻撃した城である事で知られている。
石川城とは大仏ヶ鼻城、岡館、猿楽館、月館、坊館、八幡館、寺館、高田館、茂兵衛殿館、寺山館、孫兵衛館、小山館、新館の総称(石川十三館)で、遺跡として登録範囲は約二十四万㎡の規模がある。現在は大半がりんご園等の民地になっている。
立 地
津軽平野を見渡せる高台(標高97m、比高50m)に位置し約24万㎡の広大な敷地を誇る。
大仏ヶ鼻城
石川十三館の一館に「大仏ヶ鼻城」と呼ばれる丘が存在する。
石川城の東側、秋田県と青森県との県境鹿角地方を北上し山間部を抜け、津軽平野へと入る際にその出入口ともいえる境界部にある丘陵が「大仏ヶ鼻城」である。北東には「羽州街道」が存在しており戦国時代より交通の要の地とされていた。
現在は、「大仏公園」として解放しており毎年7月にはアジサイ祭の会場として賑わっている。
「大仏」の地方の由来は秋田・青森を県境を水源とし北流する平川が、大仏ヶ鼻城の立地する丘陵を蛇行しながら流れていたため、屈曲部が「大淵」と呼ばれており、この大淵に突き出た岬部分を「鼻」と呼んでた事に由来する。石川高信がこの地に築城したため、「大仏ヶ鼻城」と呼称されるようになる。