上杉氏が古河公方の侵攻に備え築いた城

深 谷 城ふかやじょう

深谷城址公園  埼玉県深谷市本住町17


1.城データ

築城年

  • 1456年

築城者

  • 上杉房憲(深谷上杉)

別名

  • 木瓜城

天守構造

  • 無し

城郭構造

  • 平城

遺構

比高

  • 0メートル

廃城年

  • 1634年

立 地

唐沢川、福川などに囲まれた低湿地の台地北端部付近に築かれた平城

構 造

土塁や深い堀を巡らした城は面積約20ヘクタールあったといわれている

深谷上杉家

1456年、深谷上杉房憲が、古河公方の侵攻に備えて築城したとつたえられている。
深谷上杉家は元々は山内上杉家の家臣であったが扇谷上杉家の上杉朝定が北条氏康に敗れ滅亡し、後北条氏の勢力が武蔵に及ぶと、憲英から数えて7代目の憲盛の代に、後北条氏に降伏し傘下となった。

その後

1590年豊臣秀吉の小田原征伐で開城するまで、憲清・憲賢・憲盛・氏憲と134年の間深谷上杉の居城であったが、徳川家康の関東入部に伴い、長沢松平家の松平康直が1万石で入城した。
その後、家康の七男松千代、兄の六男忠輝が継いだ。しかし、忠輝は1602年に下総佐倉へ転封となり、1610年に桜井松平氏の松平忠重が入封したが1622年上総国佐貫へ移封された。
その後酒井忠勝が1万石を領有して入封したが、1627年に武蔵国川越へ移封となり、深谷藩は廃藩となり、1634年に廃城となった。